第三十九話

「クローゼ家〜前編〜」


士官学校での勤めを終え、第一装甲師団の基地へ真夜中に帰って来たカールは、すぐ自室

に向かってベッドに身を沈めた。

まだサラの温もりが手に残っているのを感じ、幸せそうに微笑みながらその温もりの中で目を
                            つ
閉じると、そのまますんなりと眠りに就いた。





翌日からカールは軍の主な任務である演習を開始すると共に、他の部隊と戦後処理を並行し

て行い、本人の予想通り忙しい日々を送る様になった。
                                         さつばつ
先日の再編成で各部隊に女性兵士が多数配属され、殺伐とした雰囲気だった基地内が一気
 はな                       あふ
に華やかになり、どの部隊も活気に溢れたが、その反面色々と問題も多く、隊長を務める者
   そろ      かか
達は揃って頭を抱えていた。
                                                      つね
今まで男性だけであった為、男性用は何とでもなるが女性用の物資は常に不足し、基地内も

女性用の施設の建設が追いつかない状況にあった。

従って女性兵士達から不満の声が上がる一方で、隊長達は苦しい立場に置かれていた。

そんな中、カールが隊長を務める第一装甲師団では唯一何の問題も起きず、演習に専念す

る事が出来た。

カールは気付いていなかったが、彼が隊長というだけで部下達は何の不満も無かったのだ。

しかし問題が無い分、戦後処理が優先的にカールの部隊に回される為、他の部隊同様忙し

い事に代わりはなかった。



                          *



そんなある日、カールは数週間振りにようやく休暇を取る事が出来、早速サラに連絡しておこ

うと研究所に通信を入れた。

長い間会えなかったので、サラの笑顔を見るのが非常に楽しみだったが、モニターに映った
       いと   ひと
のは彼の愛しい女性の姿ではなく、助手のステアの姿であった。

「あ、シュバルツ大佐、お久し振りですv」

「やあ、久し振りだね、元気そうで何よりだ。…ところで、サラは研究所にいないのかい?」

「はい。博士は今、家に帰ってます」

「家に…?」

「今日はクローゼ博士の命日なんです。去年までは戦時中で危険でしたので、命日だけ帰る

ようにしていたのですが、今年は一週間程のんびりするって数日前に出掛けたんです」

「そうか…」

「家に帰っている間は通信しないように言われてますが、どうしますか?連絡しましょうか?」
      や
「いや、止めておくよ。ありがとう、それではまた」
                                                                もら
カールはステアとの通信を手短に済ませると、急いで軍司令部に休暇の延長許可を貰い、サ

ラの家があるケルン町に向けてセイバータイガーを発進させた。





ケルン町は帝国にある町の中でも比較的規模の小さい町だったが、帝国一の科学者と言わ

れるクローゼ博士の家があるので、学者達の間では『聖地』と呼ばれている。
                        たびたび
その為、帝国各地から学者達が度々訪ねて来て大規模な学会を開く事もあり、現在ケルン町
        にぎ               と
は活気ある賑やかな町に発展を遂げていた。
                          こうがい
カールはケルン町から少々離れた郊外にセイバータイガーを置き、そこからは歩いて町へと

向かった。
                                                      いせい
町内へ入ると子供達が元気に駆け回っており、商店街からは商売人の威勢の良い声も聞こ

え、とても平和な町だという印象を受けた。
                                                            そな
カールはとりあえず最初は商店街へ足を向け、サラの父クローゼ博士の墓前に供える花を買

おうと花屋を探した。

そうして賑やかな町中をしばらく歩いていると、左側にたくさんの花を売っている店を発見し、

カールは早速どの花を買おうかと悩み始めた。

そんなカールに気付き、店の奥にいた初老の女性が気さくに声を掛けてきた。

「いらっしゃい。あんたもクローゼ博士の教え子さん?」

「…え?」
                             よそ                たいがい
「……何だ、違うのかい。この時期に余所から来る人ってのは、大概クローゼ博士の教え子な

んだけどねぇ…」

花屋の女性はジロジロとカールの全身を見回し、何か思い当たる事があったらしく、ぽんと手

を鳴らした。

「あ、そうか。あんた、サラちゃん目当てで来たんだね?」

「…………」
                                        やから
「そうじゃないかと思ったよ。そういうデリカシーの無い輩が多くて、サラちゃん困ってるだろう

ねぇ。でもしばらくはそっとしておいてあげてちょうだいな、今日はクローゼ博士の命日なんだ

からさ」
                                            おもも
一方的に話し続ける花屋の女性に対し、カールは真剣な面持ちで根気良く黙って聞いてい

た。

すると、花屋の女性は何となくいつもサラにちょっかいを出そうとする男達とは違うなと感じ、

何も言わずにテキパキと花束を用意してカールに差し出した。

「これ、クローゼ博士が好きだった花だよ」

「そうなんですか。ありがとうございます」

カールはすぐにお金を払うと、花束を受け取って歩き出した。

「あ、ちょっと待っとくれ!」

花屋の女性が思い出した様に呼び止めた為、カールはゆっくりと振り返った。
                                        す
「墓地はこの通りの突き当たりを右に曲がって、真っ直ぐ行けばあるよ」

「…ありがとう」
       さわ
カールが爽やかに微笑みながらペコリと頭を下げると、花屋の女性はその笑顔に見とれ、うっ

とりとした目になった。
                          みりょう
カールの笑顔は老若男女、誰でも魅了してしまう力がある様だ。

カールは花屋の女性が教えてくれた通りに町中を歩き、程なくして墓地に到着した。

墓地にはたくさんのお墓が並んでいたが人の気配は全く無く、クローゼ博士のお墓の場所を
             かんじん
聞こうと思ったが、肝心の聞く相手がいなかった。

このままここで誰かが来るのを待っていても仕方がない為と、カールはお墓を端から一つ一つ

見て回り、地道に探し出す事にした。
                                                    ひときわ
そうして探し始めてから数分経った頃、墓地の一番奥に他のものより一際大きなお墓が二つ

並んでいるのを発見し、もしやと思ってそのお墓の方へ向かった。
                                                                  ひざまづ
すると、人の気配が全く無かったにもかかわらず、その大きなお墓の前で一人の女性が跪い

ているのに出くわし、カールは少々驚いたがすぐ笑顔になった。

(サラ……)

お墓の前に跪いていたのは……上から下まで黒一色の格好をしたサラであった。
                                いっしん
彼女はカールに気付く事なく手を合わせ、一心に祈り続けていた。

カールが黙ってお祈りが終わるのを待っていると、サラはゆっくりと顔を上げてから人の気配

に気付き、慌てて振り返った。
           き
カールは気の利いたセリフが思い浮かばなかった為、とりあえずにっこりと笑ってみせたが、
         ぼうれい
サラはまるで亡霊にでも出会ったかの様に目を丸くして彼を見つめた。

「カール……?こんな所にいるはずない……よね…?」

「サラ」

信じられないといった表情をしているサラに、カールは笑顔のまま落ち着いた声で彼女の名を

呼んだ。

サラは一瞬泣きそうな表情になりつつも、すぐに笑顔を見せた。

「カール、どうしてここに?」

「……偶然通り掛かってね」

「偶然…?そんなもの持って?」

サラがクスクス笑いながら尋ねると、カールは慌てて花束を背後に隠し、苦笑いを浮かべた。

サラはカールの精一杯の嘘が心から嬉しかったので、それ以上追求するのは止めておく事に

した。
                  ぶ
どう考えても、カールに分が悪い状況だったのだ。

今日のカールは軍服ではなく、サラと同じ様に上下共黒い服を着ており、その時点で偶然通

り掛かるというのはハッキリ言って無理があった。
                  ごまか                                           たむ
カールは必死に笑って誤魔化した後、クローゼ博士のお墓の前に跪き、花束をそっと手向け

た。
                                                    きざ
ふと隣の墓石を見ると、クローゼ博士の妻と思われる女性の名前が刻まれており、夫婦でこ

こに眠っているのだとわかった。

(お嬢さんの事は心配しないで下さい。俺が必ず守ってみせます)

カールはクローゼ夫妻に向かって短く祈り、すぐに立ち上がるとサラに向かって笑いかけた。

「私の家に案内するね」

「ああ、頼む」
                             つな
サラはにっこりと微笑み、カールと手を繋いで歩き出した。

互いに話し出し辛いのか、二人はしばらく無言で歩いていたが、墓地を出る頃にサラはふと

何かを思い出し、何気なくカールに尋ねてみた。

「カール…」

「ん?」

「…さっき、父様達と何を話していたの?」

サラの質問を聞いた途端、カールは顔を真っ赤にし、急にぎくしゃくし始めた。

「べ、別に…た、大した事は、は、話してないよ」

カールが思い切り動揺しながら答えた為、サラは何となく話の内容を察し、嬉しそうに微笑ん

でいた。





二人は先程カールが通って来た道を戻り、商店街の中へ入って行った。

そうして花屋の前に差し掛かると、丁度良く花屋の女性が顔を出し、サラににこやかに話し掛

けた。

「サラちゃん、今帰り?…あら、あんたは………」
                                                              ふしん
花屋の女性はサラの隣に先程花を買って行ったカールがいるのに気付き、瞬時に不審そうな

表情になった。

「先程はどうも」

カールがにっこり笑って言うと、サラは彼と花屋の女性を交互に見て頷いた。

「さっきのお花、おばちゃんの所で買ってくれたのね」

「ああ、そうだよ」
                      なかむつ
花屋の女性はカールとサラの仲睦まじい様子を見て二人の関係を察し、気持ち悪い程にやに

やと笑い始めた。

「な〜んだ、そういう事だったの。それならそうと早く言ってくれたら、うぅ〜んとサービスしたの

にねぇ」

「え?」

花屋の女性の言葉が理解出来ず、カールはポカンとなってしまったが、彼女はにやにや笑っ
             ひじ
たままサラの腕を肘で軽くつついた。

「サラちゃん、なかなかの色男を捕まえたわね。これでアタシも安心して商売に専念出来る

よ」

「や、やだ、おばちゃんったら…。何言い出すのよ…」
                                      ごうかい
サラが頬を赤らめてもじもじすると、花屋の女性は豪快に大きな声で笑い、カールの背中をド

ンと押した。
                                      とど
カールは思わず前のめりになったが、何とか踏み止まって苦笑いを浮かべた。
         ひ
サラは余り冷やかしに慣れていないので、恥ずかしさに耐えられなくなってしまい、カールの

手を強引に引っ張るとそそくさと歩き出した。

「サラちゃんを幸せにしてあげてね〜!!」

背後から花屋の女性が大声で叫んだが、サラは顔を真っ赤にしたまま振り返ろうとはしなか

った。

そんなサラに引っ張られながら、カールはこの町でも彼女は皆に好かれているのだなと、自分

の事の様に嬉しく思っていた。





ケルン町の住宅街を横切り、外れへ向かうと目の前に大きな門が現れた。
                                                                  かし
町の規模から考えると大きすぎる門であった為、カールは一体何の門なのだろうと首を傾げ

ていた。

そんなカールの疑問を察したのか、サラは軽い足取りでその門をくぐり、笑顔で手招きした。

「カール、こっちこっち」
     せ
サラに急かされ、急いで門をくぐったカールは周囲を見回すと、そこが庭らしき場所である事に

気付いた。

「サラ、ひょっとしてここは…」

「私の家の庭だよ」

「やはりそうか。すごい広さだな」

「そうでもないよ、広いのは庭だけだもの」

サラは笑って軽く言ったが、彼女の家の庭はケルン町のほぼ半分の広さがあり、庭というより

公園の様であった。

広い庭を数十分歩くと、様々な植物に囲まれたかわいらしい家に到着した。

サラが言った通り、広いのは庭だけで家自体はこぢんまりとしていたが、柱の所々に美しい
ちょうこく ほ
彫刻が彫られており、造りは非常に立派な建物であった。

二人が家の傍までやって来ると、不意に玄関のドアが開き、中から誰かが出て来た。

その人物はすぐサラに気付き、笑顔で手を振った。

「サラちゃん、お帰り〜」

「ただいま、ライザさん」

「あら、そちらの方は?」

ライザと呼ばれた中年の女性はサラの隣にいる見慣れない人物を見つめ、不思議そうな顔を

して尋ねた。

「あ、彼はカール・リヒテン・シュバルツっていって…」

慌てて紹介を始めるサラを見、ライザはにやりと笑って頷いた。

「はは〜ん、サラちゃんの彼氏ね?」

「え、あ、うん、まぁ……そうなるかな」

カールの事を恋人として紹介するのは初めてだったせいか、返事をすると同時にサラは恥ず

かしさの余り顔が真っ赤になってしまった。

ライザはサラの照れる仕草を微笑ましく思いつつ、カールににっこりと微笑み掛けた。

「これからもサラちゃんの事よろしくね」

「はい」

カールが即答してみせると、ライザは心底嬉しそうな顔をしてサラの傍まで歩み寄り、わざと

小声で話し出した。

「じゃ、私はそろそろ帰るわね。二人っきりのあま〜い時間を過ごしてちょうだいなv」

「ラ、ライザさん!」
                                          ふく
ライザの冷やかしに、サラは顔を真っ赤にしたまま頬を膨らませた。

ライザはクスクス笑って手を振り、足早に自宅へと帰って行った。

サラは照れながらも一応手を振り返し、ライザの後ろ姿が見えなくなると、ようやく一息ついて

カールを見上げた。

カールはこのままサラの照れる姿を見ていたいと思ったが、その為には意地悪をしなくてはな

らず、それはさすがに気が引けるので、何気なく違う話題に変える事にした。

「さっきの人、誰だい?」

「あの人はライザさんっていって、昔家のお手伝いさんをしていた人なの。今は私が余り家に

帰らないから、たまに家の様子を見に来てくれてるんだよ」

「へぇ、そうなのか」

カールのお陰で気分が切り替わったサラは笑顔で彼を自宅に招き入れ、リビングへ案内して

椅子を勧めた。

カールが勧められた椅子に腰を下ろすと、サラはいそいそと紅茶を用意して彼に差し出した。

「どうぞ」

「ありがとう」

「私はまだ部屋の片付けが残っているから、あなたはしばらくそこでゆっくりしててね」

そう言うなりサラは足早にリビングから出て行き、一人ポツンと残されたカールは、ゆっくりと

紅茶を飲みながら考え事を始めた。

(無理してるな…)

サラはカールや町の人の前では明るく振る舞っていたが、そんな態度を取れば取る程彼女の

辛さが伝わってきた。

皆に心配を掛けたくないというサラの優しい気持ちの表れなのだろうが、カールにとっては大

変ショックな現実であった。
     ささ
彼女の支えになると言っていたのに、実際は全くなれていないと気付かされたのだ。

しかしショックを受けつつも、何故か落ち込みはしなかった。

これからなればいいのだと前向きな考えに落ち着くと、カールは椅子から勢い良く立ち上がり
     さが
サラを捜し始めた。




                   しょさい
丁度その頃、サラは父の書斎でぼんやりしていた。
                                           おさ
その書斎にある巨大な本棚には数え切れない程の本が収められており、本好きのサラにとっ
                                                    さまが
ては心から落ち着ける場所であったが、今は悲しみに沈む場所へと様変わりしていた。
            と                                                       めく
サラはふと目に留まった本を本棚から手に取ると、読む訳でもないのにパラパラとページを捲

った。
                    あふ
すると、途端に目から涙が溢れそうになり、すぐに本を閉じて本棚に戻した。

そうしてしばらく動けずにいると、突然書斎のドアが開いてカールが中に入って来た為、サラ
           ふ
は慌てて涙を拭き取り、極力笑顔で振り返った。
影で流す涙…
          たいくつ
「どうしたの?退屈になっちゃった?」

サラの問いにカールは黙って首を横に振り、ゆっくりと歩いて彼女の傍へ向かった。

不思議そうに見上げるサラをカールはそっと抱き寄せ、彼女の髪を優しく撫でた。

「……カール?」

「…サラ、我慢しなくていいんだよ」

「…………え…?」

「泣きたい時は泣けばいい、俺の前では我慢しないでくれ…」
            みす
カールに全てを見透かされていたとわかった瞬間、サラは驚いて目を見開いたが、その目か

らは涙が溢れ始めた。

そのままサラは声にならない声で泣き出し、カールは彼女が落ち着くまで細い体をずっと強く

抱きしめていた。

今まで皆の前ではなるべく涙を見せまいと我慢し続けていた反動は……かなり大きかった。




         ひとしき
しばらくして一頻り泣き終えたサラは、照れ臭そうに微笑んでカールから離れた。

「ありがとう…」
    つぶや
サラは呟く様にポツリと言うと、本棚にもたれ掛かって何かを決意した様に頷いた。

「カール、聞いてほしい事があるの…」

「何だい…?」

「私ね、父様の……クローゼ博士の本当の娘じゃないの…」
           しょうげき
突然聞かされた衝撃の事実に、カールは驚きの余り声も出せず、サラをじっと見つめる事しか

出来なかった。

「私の本当の両親は……私が小さい頃戦争で亡くなったの。…それで一人になった私を、ク

ローゼ博士が養女として迎えてくれたの」
                       たんたん
サラは遠くを見る様な目つきで淡々と話を続けた。

「母様…いえ、クローゼ博士の奥様は生まれつき病弱な人だったらしくて、子をなすのは無理

だとお医者様に言われていたの。だから、父様は私を養女にしてくれたんだと思う。初めて私

を見た時の母様は……本当に嬉しそうな顔をしていたから…」
                                    じょじょ  い
辛そうに話し続けるサラを見ていると、カールは徐々に居たたまれなくなってしまい、話を止め

させようと重い口を開いた。

「サラ…辛いのなら無理に話さなくていい」

「ううん、いいの。辛くないって言ったら嘘になるけど、あなたには私の全てを知ってもらいた

いの。だから……聞いてほしい…」

「…………わかった、続けてくれ」

カールの返事に、サラは嬉しい様な悲しい様な微妙な笑みを浮かべ、一度だけ深呼吸して話

を再開した。

「母様は私がこの家に来てから五年くらい経った頃病気で他界してしまったんだけど、とても
やす
安らかな笑顔で眠るように息を引き取ったの…。父様はお前のお陰だって言って……私を抱

きしめて泣いていたわ…。私は……私は何も出来なかったのに………」

それは違う、とカールは言いそうになったが、サラの悲しそうな瞳を見ていると言葉が出なか

った。

サラの存在がクローゼ夫妻にとってどれだけ救いになっていたのか、彼女自身痛い程感じて

いたはずなのだ。

「母様が亡くなって一番辛いのは父様のはずなのに、あの人は私の前では決してそんな素振

りを見せなかったの。それからも今まで以上に私の事を本当の娘として大切にしてくれたわ。

だから私は父様の役に立てるように、一生懸命勉強して博士号を取ったの。父様はすごく喜

んでくれたけど……」
                                                てんじょう
サラはそこで一旦言葉を切り、再び涙が溢れそうになると慌てて天井を見上げた。

「父様が病気で倒れた時、私はようやく自分の無力さを思い知ったの…。母様の事があった

から医学もちゃんと勉強していたのに、父様の病気を治す事が出来なかった…。今まで父様

の役に立ちたいって思って努力してきたけれど、一番肝心な時に私は無力だった……。…け

ど、父様は私に言ってくれたの。『ありがとう、お前がいたから私はここまで頑張ってこれたん

だよ』って…」
                        こぼ                                    つた
サラが話しながらポロポロと涙を零し始めると、カールは彼女の前へ歩み寄り、頬に伝う涙を
    ぬぐ
優しく拭った。
                                                      ほおず
サラはカールの手に自分の手を重ね、温もりを確認するかの様にそっと頬擦りをした。

「父様が亡くなってから、すぐにプロイツェンに研究員をごっそり引き抜かれて…研究所の存
   あや
続が危うくなってしまったんだけど、私は父様が創設した研究所を絶対守りたかったから、出

来る限りの事は全てやろうって無茶ばかりしていたの。ステア達は私を止めようとして必死に

なってくれたわ…。そんな時、あなたに出会ったの」

サラはようやく笑顔を見せ、カールの手をぎゅっと握った。

「始めは軍の中にも話のわかる人がいるんだなってくらいにしか思ってなかったの。でもあな

たの笑顔を見ていると、父様や母様の笑顔を見た時みたいに心が温かくなって……。それが

恋だと気付くのに時間はかかったけど、すごく嬉しかった…。私は一人じゃないって思えるよう

になれたから…。あなたが傍にいてくれたら……私…これからも頑張れるよ…」

初めてサラの口から聞きたかった言葉を言われ、カールは嬉しさの余り再び彼女を強く抱きし

めていた。

サラも力を込めてカールに抱きつき、互いの温もりを肌と肌で感じ合った。

「サラ……愛してるよ…」

今まで一度として自分の気持ちを言葉にした事がなかったカールが、初めてハッキリと愛の

言葉を口にすると、サラは驚いて顔を真っ赤にしたが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。

「私も……愛してるわ…」

サラも自分の気持ちを素直に言葉にし、二人はより一層強く抱き合うと、気持ちを確認する様
     ほうよう
に熱い抱擁を始めた。

もう一人ではない、これからは愛する人が常に傍にいる…
                       ひたい
そうして最後にカールがサラの額に軽く口づけして抱擁を終了し、二人は書斎を後にした。

「あ、そろそろ夕食の準備しなくちゃ」

書斎から出るなり、サラは思い出した様に言ってキッチンへ駆けて行ったが、その様子が余り

にもぎこちなかった為、余程照れ臭いのだろうと思ったカールはゆっくりと彼女の後を追った。
                                 きは
サラの為と思いつつ、実はまだカールにも気恥ずかしさが残っており、心なしかいつもより歩

調が遅くなっていた。
               たど           すで
カールがキッチンに辿り着くと、サラは既に慌ただしく動き回って夕食を作り始めていた。

カールはキッチン内の椅子に腰掛け、嬉しそうににこにこしながら夕食が出来上がるのを待っ

た。

やがてダイニングルームのテーブルに料理が並べられると、二人はすぐ席に着いて仲良く食

べ始めた。

「ねぇ、今日はどこで寝る?私の部屋でいい?」
                  かま
「君と一緒なら、どこでも構わないよ」

「う、うん、わかった」

今まで何度も一緒に寝た事があるのにサラは妙に照れてしまい、持っていたフォークを皿にグ

リグリしていた。

そんなサラのかわいらしい仕草を微笑ましく思いつつ、カールは黙々と食事を続けた。





夕食を終え、すぐに席を立ったサラはカールにお風呂を勧めると、その間にテキパキと後片付

けを済ませた。

数分後カールが浴室から出て来ると、サラは彼にリビングで待つ様に言い、入れ違いに浴室

へ入って行った。

カールはサラに言われた通りリビングへ向かい、そこにあるソファーに座るとのんびりと彼女

が来るのを待ち始めた。

しばらくして、かわいらしいパジャマを着たサラがリビングに顔を出し、笑顔でカールの傍に歩

み寄って来た。

「かわいいな…」

カールが思った事を素直に口に出すと、サラは照れ臭そうにしながら彼の腕を引っ張った。

「私の部屋に案内するわね」

そう言って、サラはカールを連れて自室へ向かった。

サラの部屋は余り女の子らしいものが見当たらず、非常にスッキリとした印象を受ける部屋で

あった。
                                              いか
が、研究所の自室と同じ様に本だけが妙に多かったので、如何にもサラらしい部屋だとカー

ルは思った。

サラは部屋に入ると、机の上に広げていた書類に気付き、慌てて片付け始めた。

「あはは、片付けるのを忘れていたわ」
       せいとん
机の上の整頓を終えるとサラは大きく伸びをし、ベッドにコロンと寝転んでカールを見上げた。

「カール、少し早いけどもう寝る?」

「そうだな」

カールはサラの隣に横になり、直ぐさま目を閉じた。

カールが本当に眠ろうとしていると気付いたサラは、不満を感じて彼の腕をツンツンつついた。
                                                  つか
すると、カールは不自然な程ゆっくりと目を開き、サラの手を優しく掴んでつつくのを止めさせ

た。

「どうかしたのかい?」

「…いいの?」

「何が?」

「だ、だから…その………しなくていいのかなって……」

サラが何を言いたいのかわかっていたが、カールは意地悪をしてわからないフリをした。

「何をしなくていいんだい?」

「…あ、あのね……その…………だから……」
                      よど                        おお
サラは顔を真っ赤にして言い淀み、恥ずかしさの余り両手で顔を覆った。

「私には言えないよぅ…」

「何を言えないんだい?」

カールがにやりと不敵な笑みを浮かべて言うと、サラはようやく彼に意地悪されていたのだと

わかり、泣きそうな表情で頬を膨らませた。

「わかっているクセにわざと聞くなんて……意地悪ね…」

サラの呟きを聞いたカールは嬉しそうに微笑むと、彼女の髪を優しく撫でた。

「今日は止めておこう。君だって辛いだろ?」

「そんな事ないわ!確かに今日は父様の命日だけど……だからこそ私…あなたに……」
                                                  の             おさ
カールはいっそこのままサラを抱いてしまいたいと思ったが、涙を呑んでその気持ちを抑え

た。

「…とにかく今日はダメだ、早く休もう」
          かっとう
カールの心の葛藤に気付く気配すらないサラは、再び頬を膨らませてプイとそっぽを向いた。
      せっかく
「なによ、折角誘ってあげてるのに!」

「…じゃあ、手加減なしで激しくしていいならしよう」

「そ、それはダメ」

「だったらしない」
                                                                    たた
カールが冷たく言い放つと、途端にサラは泣きそうな顔になり、彼の腕をぽんぽんと何度も叩

いた。

「もう!どうしてそんな意地悪言うの!?」

「サラ」

突然カールに強い口調で名前を呼ばれ、サラは思わずビクッとなって黙り込んだ。
                                                               ふさ
カールはそれ以上何も言わず、サラの頬を優しく撫で回してから、そっと彼女の口を塞いだ。

そうしてしばらくの間濃厚な口づけを続け、カールの唇がゆっくり離れると、サラは急に大人し

くなってベッドへ横になった。

カールはサラの様子を見て安心した様に微笑むと、目を閉じてぼそっと呟いた。

「明日は朝まで眠らせないぞ」

「え…?」

サラはその呟きに驚いてカールの方を見たが、彼はもう既に寝息を立て始めていた。

そのかわいい寝顔に小さく笑みを浮かべたサラは、カールの頬に優しく口づけし、彼の後を追

う様に眠りに就いた。










●あとがき●

断片的ではありますが、サラの両親のお話をようやく書く事が出来ました。
実は養女だったんですね〜…って、ありがちな展開かもしれませんが(笑)
今回のお話で以前出した伏線が多少紐解けたのではないか、と思っています。
昔すぎてわからん!という方は第一話から読み直して下さい、私もそうします(作者が忘れる
なよ…)
そしてそして…とうとうカールが父親の存在を超えました!!
しかも愛の言葉も言っちゃいました!(ある様で無かったんですよね…)
遠くない未来に超えられる、と以前あとがきで書いた割になかなか超えられなかったカールで
すが、今回めでたくサラの心を鷲掴みv
サラの中での割合がカール:6、父:4だったのが、今やカール:9、父:1になりました。
どちらも大切な人には変わりないですが、カールは『誰とも比べられない大切な人』になれた
のですv
サラの心の支えになるという目標も無事達成し、カールは着々と成長を遂げています。
2部からの落ち着いた雰囲気を手に入れるまで、頑張って成長してもらいたいと思います。
もちろんサラとの愛もしっかりと育んでもらう予定ですv(こっちが本命かも!?)

●次回予告●

悲しみの一夜をカールと共に乗り越え、翌日にはすっかり元気を取り戻したサラは、朝から父
の教え子達の接客に追われます。
大変な様子を見兼ねて手伝いを申し出るカール。
夕方になると、教え子達は予約している宿へ帰って行き、家にはカールとサラの二人だけに
なりました。
今夜は心行くまで体を重ねよう…。二人の気持ちは見事に一致します。
第四十話 「クローゼ家〜後編〜」  今夜は朝まで眠らせないって言っただろ?

                        
<ご注意>

次の第四十話「クローゼ家〜後編〜」は性描写を含みます。
お嫌いな方・苦手な方はお読みにならないで下さい。
久し振りにアレ(どれ?)なシーンがメインとなっているお話ですので、これまでのお話を全て
読んでいるという方も一応注意して下さい。
何故かというと、いつになく直接的な表現が出てくるからです。
始めから気を引き締めて読めば大した事はないと感じる、かもしれません。
今川にしては高度な表現にチャレンジしている、と思って下さい(笑)