「永遠の離別 導く先は希望の光」
サラがクローゼ家の一員となってから五年の月日が流れ、その年彼女は十二歳の誕生日を 迎えた。 戦争による心の傷はアルフォンス達やライザを始めとする町の人々のお陰ですっかり癒え、 サラは誰からも愛される少女へと成長を遂げていた。 最近では父・アルフォンスの影響を受け勉学に励む様になり、ケルン町でも評判になる程の 勤勉さで、父同様博士になれるのではないかと専らの噂であった。 サラの健やかな成長はもちろんアルフォンス達も喜んでいたが、その喜びと共に悲しみが少 しずつクローゼ家に忍び寄りつつあった…… 『もう長くない……』 イリーナの主治医から聞かされた言葉は、アルフォンスの瞳に陰りを与えた。 サラがクローゼ家に来て以来イリーナの病状は改善している、と誰もが思っていた。 しかし本人とアルフォンスだけは本当の事を知っていた。 始めは確かに改善していき、このまま三人で仲良く暮らしていけるかもしれない、と希望を持 ち始めたアルフォンス達だったが、徐々に今の幸せは長く続かない事を察する様になっていっ た。 イリーナが服用している薬の量が年を追う毎に増えていたのだ。 サラが来てくれた事により一時的に改善したのは、命の最後の輝き。 その輝きが眩しすぎた為に、一見病気が治った様に見えたのだろう。 アルフォンスもイリーナも全てを知っていても口に出す気にはなれず、サラにも病状が悪化し ている事を伝えていなかった。 そんな不安な日々が数週間続いたある日、とうとう限界が訪れたらしく、イリーナが自室で倒 れてしまった。 その日は運悪くアルフォンスが不在であった為、ライザはすぐに主治医を呼んで治療にあたっ てもらい、その間にサラを彼女の部屋へ押し込んだ。 イリーナの現状を悟られない様にと思っての行動だったが、サラは全てを察し呆然となってい た。 聞きたくても聞けなかったイリーナの病の事。 しかし敢えて聞かなくても、イリーナを見ているアルフォンスの表情だけで、病状が思わしくな いと察する事が出来た。 また大切な人がいなくなる…… その恐怖に、サラはただ怯えるしかなかった。 数時間後、国立研究所から慌てて帰って来たアルフォンスは、足早にイリーナの自室へ向か い、ベッドに横たわっている愛する女性の元に駆け寄った。 「イリーナ……」 「……アル、おかえりなさい」 「………先生、今はどういう状態ですか?」 アルフォンスはイリーナの手をしっかりと握り、呟く様に主治医に問い掛けた。 答えは聞かなくてもわかっている。 が、信じたくないという思いから、アルフォンスは縋る様な目つきで主治医を見上げていた。 「…残念ですが……私にはもう手の施しようがない状態です」 「そう……ですか………」 ……覚悟はしていた。 本当はサラがこの家にやって来た時、もう死期が訪れていてもおかしくなかったのだから。 しかしいざ現実を知らされると、アルフォンスは覚悟など全く出来ていなかったのだと気づかさ れた。 と同時に、自分は何て無力なのだろうと改めて痛感した。 周りからどんなに素晴らしい科学者だと称賛されようとも、愛する女性一人救えないのなら無 駄な頭脳だ。 アルフォンスが心の中で何度も自分を責めていると、イリーナは彼の手をぎゅっと握り返し微 笑んでみせた。 「アル、サラを呼んでちょうだい」 「しかし…サラは……」 「家族皆でお話したいの、お願い…」 「……わかった、少し待っててくれ」 アルフォンスは急いでサラを呼びに行ったが、彼女は部屋の隅に蹲りガタガタと体を震わせ ていた。 何も聞かされていなくてもサラは全てわかっている、アルフォンスはそう瞬時に察した。 「サラ」 「……母様は……?」 「母さんがお前を呼んでいるんだ。一緒に来てくれるね?」 サラが小さくコクンと頷くと、アルフォンスは彼女を抱き上げイリーナの部屋へ向かった。 ドアの前には主治医が佇んでいたが、双方共言葉は交わす事なく軽く会釈し合い、アルフォ ンスとサラは室内へと入って行った。 最後くらい家族水入らずで、と気を遣ってくれたのだろう。 主治医のちょっとした気遣いに胸がいっぱいになりつつ、アルフォンスはイリーナの傍まで行 き、サラを降ろそうとしたが、サラは首にしっかりとしがみついたまま離れようとしなかった。 「サラ、母さんとお話しよう」 「……やだ…私は明日にする…。今日は父様がお話して……」 「サラ……」 明日はないかもしれない…… 喉まで出かかった言葉を、アルフォンスは必死に飲み込んだ。 「サラ、ここにいらっしゃい」 イリーナが非常に優しい声で呼び掛けると、サラは先程まで嫌がっていたのが嘘の様にすん なりとアルフォンスから降り、ベッドへ駆け寄って首を傾げてみせた。 懸命に笑顔を作ろうとしたが、サラの大きな瞳には既に溢れんばかりの涙が浮かんでいた。 「アル、あなたも来て」 イリーナは愛する家族を呼び寄せると、アルフォンスとサラの手を取り両手で包み込んだ。 「……今から言う事、聞きたくないだろうけど聞いてね」 「ああ、もちろん聞くよ」 「…なぁに、母様?」 今にも泣き出しそうな顔をしている二人に、イリーナは弱々しかったが笑みを見せ、自分の思 いをゆっくりと語り始めた。 「アル、サラ、今までありがとう。二人がいてくれたから、私は今日まで生きてこられたの。ど んなにお礼を言っても足りないくらいよ…」 「な、何言ってるの、母様。母様は……母様は元気だよ、こうしてお話出来るんだから」 「……サラ、初めてあなたを見た時、私がどう思ったか話した事あったかしら?」 「…ううん、聞いてないよ」 「私ね、初めてあなたを見た時天使が来てくれたって思ったの。空と同じ色の髪、茶色くて大 きな瞳、どこを見ても天使にしか見えなかったわ」 「……違う、私は天使じゃない。天使だったら…母様の病気を治せるはずだもん!」 「ふふふ、病気を治せないから天使じゃない? それは違うわ、サラ。私とアルにとって、あな たは間違いなく天使だった…。だからこそこんなにも長く生き抜く事が出来たのよ」 イリーナは堪えきれなくて涙を零し始めたサラの頬を優しく撫で、自分も泣きそうになりつつも 必死に我慢して話を続けた。 「あなたが来てくれて本当に良かった…、私とアルの初めての娘だったから……。あなたと過 ごしたこの五年間は私の人生の中で一番の輝きを放っているわ…。ありがとう、サラ」 「母……様………」 「……アル、お願い…」 イリーナのその言葉だけでアルフォンスは彼女の思いを察し、泣きじゃくるサラを抱き上げライ ザの元へ向かった。 その頃ライザはリビングで主治医と共に暗い顔をしていたが、アルフォンス達がやって来ると 慌てて笑顔を作って出迎えた。 「旦那様、どうされました?」 「ライザ、サラを見ていてくれないか?」 「………。……わかりました、お任せ下さい」 「ありがとう……」 アルフォンスは小さな笑みを浮かべながらサラをライザに任せると、踵を返してイリーナの部 屋へ戻った。 何故自分は除け者にされたのか…? それは本当の家族ではないから…? 遠離っていく父の後ろ姿を潤んだ瞳で見送ったサラは、それは違うとすぐに否定していた。 確かに本当の家族ではない。 しかし家族同然に愛しているからこそ、最期を看取る辛さを味あわせたくないとアルフォンス は思ったのだろう。 それにイリーナを一番愛しているのはアルフォンス。 サラがどんなに頑張ろうとも、固い絆で結ばれた夫婦の間に入り込むのは不可能。 子供ながら全てを悟る事が出来たサラは、ライザの腕の中に蹲り声を殺して泣き続けた。 一方イリーナの部屋へ戻ったアルフォンスは、握り返す事もままならなくなった彼女の手を優 しく握り、何も言い出せずに黙っていた。 イリーナはすぐ目の前まで迫っている自分の死に微塵も恐怖を感じる事なく、明るく微笑みな がらアルフォンスに話し掛けた。 「……アル」 「……ん?」 「結婚してくれてありがとう……。もしあなたが結婚を申し込んでくれなかったら、私は一番大 切な事を知らないままもっと早くに死んでいたかもしれない。本当にありがとう……」 「……イリーナ、礼なんて言わないでくれ。私には君が必要だった、だから結婚を申し込んだ んだ。……それだけの事だ」 「……ふふふ、あなたならそう言うと思ったわ。でも、だからこそお礼を言っておきたかったの。 あなたとの結婚生活、とても楽しかった……病気でどんなに辛くてもあなたと一緒なら我慢出 来た……。あなたのお陰で天使にも会えたわ……私、世界一の幸せ者だったよ……」 イリーナの言葉が過去形になっている事に気づくと、アルフォンスは思わず目を伏せ、彼女の 手に頬擦りし始めた。 「アル……私達の天使の事、よろしくね……」 「ああ、もちろんだ……」 「…アル、愛してるわ………」 「私も……愛してるよ、イリーナ………」 アルフォンスは愛の言葉を囁きながら、イリーナと最後の口づけを交わした。 アルフォンスの温もりを感じた途端、我慢していたものが一気に解き放たれ、イリーナの瞳か ら涙が溢れ始めたが、彼女はずっと笑顔のままだった。 愛する男性には最後まで笑顔を見せていたい…… イリーナの思いは見事に伝わり、アルフォンスも笑顔で愛する女性を見送ろうと懸命に笑みを 浮かべていた。 「…ア……ル………」 「……イリーナ…………」 アルフォンスが笑顔で見守る中、イリーナは眠る様に静かに息を引き取った。 「……イリ……ナ………………」 アルフォンスはイリーナの頬に伝う涙を拭き取ると、もう一度唇を重ねそのまま彼女を抱きしめ た。 まだ残っている温もりを最後まで…… 後から後から溢れ出てくる涙を拭くのも忘れ、アルフォンスはずっと彼女を抱きしめ続けた。 しかし途中でハッとイリーナの言葉を思い出すと、アルフォンスは天使を迎えに行った。 彼女にもイリーナの温もりを感じてほしかったのだ。 「サラ、おいで」 アルフォンスの表情を一目見るだけで、ライザと主治医は全てを察し動けなくなってしまった が、サラだけはすっくと立ち上がり父の手を握った。 そうして二人は愛する妻であり、愛する母でもある女性が眠る部屋へと向かった。 「さぁ、サラ。見てやってくれ、母さんの寝顔を…」 「うん……」 サラは恐る恐るイリーナの顔を覗き込み、もう動く事はない彼女の頬をそっと撫でた。 今にも目を覚まして自分の名を呼んでくれるのではないか、とサラは一瞬期待したが、イリー ナの瞳は固く閉ざされたまま開かれる事はなかった。 「母…様………」 サラがポロポロ涙を零し始めると、アルフォンスは彼女の小さな肩を抱き青髪を優しく撫でた。 「とても安らかな寝顔だろう? 母さんは空へ旅立ったんだ…。そう、お前の髪の様な青いお空 にね……」 「……………」 「…母さんが今日まで頑張ってこれたのは全てお前のお陰だ……。ありがとう、サラ……」 アルフォンスはサラを強く抱きしめ、声を殺して泣き始めた。 アルフォンスが泣いたのは後にも先にもその日だけであった…… 後日行われたイリーナの葬儀では、アルフォンスは涙を一切見せなかった。 その様子が余計に町の人々の涙を誘ったが、アルフォンスは終始笑顔で参列者と接してい た。 一方、サラはイリーナが空へ旅立ってからずっと自室に籠もって泣いていたが、母の為にも葬 儀にだけは出席しようと、真っ赤な目のままアルフォンスの傍にいた。 始めは笑顔で挨拶を交わしたりしているアルフォンスに怒りを感じたサラだったが、父の光を 失った瞳を見ていると、何となく彼の本心が伝わってきた。 父は私の為に本心を隠している…… そう気づいた時サラは自分の弱さを痛感し、その日から強くなりたいと切に願う様になった。 肉体的にも精神的にも、父が心配する必要はないと思う程強くなろう。 そうすれば、父も素直に涙を流してくれるかもしれない。 こうしてサラは今まで以上に勉学に励み、弱っていた体を鍛えようと護身術まで習い始め、忙 しい日々を送る様になった。 アルフォンスもサラに負けじと研究や発掘に力を注ぎ、二人は休む暇もない程毎日を忙しく過 ごす事で、イリーナがいない淋しさを紛らわせていた。 そうして一年があっという間に過ぎ去り、久々に自宅へ帰って来たアルフォンスをサラが笑顔 で出迎えた。 数ヶ月振りの親子水入らずの時間、サラは紅茶と焼きたてのケーキを用意すると、アルフォン スがいる書斎へ足を運んだ。 「サラお手製のケーキか、久し振りだなぁ」 「じっくり味わって下さいなv」 サラはテーブルの上にテキパキと二人分の紅茶とケーキを並べ、アルフォンスと共に仲良くケ ーキを頬張り始めた。 しばらくの間二人は無言でケーキを食べていたが、サラには伝えなければならない事があっ た為、意を決した様子でアルフォンスに話し掛けた。 「…父様、報告したい事があるんだけど、聞いてくれる?」 「ああ、もちろん聞くよ。何の報告だい?」 「私……来月ヴァシコヤードアカデミーの入学試験を受ける事になりました」 ヴァシコヤードアカデミーは学者育成で有名な学校。 サラには最適な学舎だろうが、アカデミーは全寮制。 そこの生徒になるという事は、これまで以上に会う機会が減るだろう。 しかしアルフォンスは淋しそうな素振りを一切見せず、にっこりと満面の笑みを浮かべた。 「そうか…、自分の進むべき道を見つけたんだね」 「はい」 「お前が自分で決めた事なら父さんは何も口出ししない。アカデミーでたくさんの事を学んで おいで」 「うん、頑張る。……気が早いかもしれないけど、アカデミーを卒業したら父様の助手になりた いな」 「お前なら助手じゃなくて博士になれるよ、父さんが保障する」 「えへへ、じゃあ博士を目指して頑張るね」 「ああ、優秀な博士が来てくれるのを楽しみに待ってるよ」 アルフォンスの優しい言葉にサラは気持ちを新たにすると、来月行われる入学試験に向けて 猛勉強を開始した。 そして一ヶ月後行われた試験でサラは見事に主席で合格し、晴れてヴァシコヤードアカデミー に入学する事が出来た。 サラは今年十三歳、様々な事に興味を持ち始める多感な時期のはずだが、アカデミーに入学 してからの彼女は笑顔をほとんど見せなくなり、ただひたすらに勉学に励む地味な学生生活 を送っていた。 出来る限り早くアカデミーを卒業し、博士号を取得して父の役に立ちたい。 その思いだけで彼女の心はいっぱいであった。 しかしどんな所でも、才能を妬む者がいるのが定石。 サラはその容姿から男子生徒に言い寄られる事がしばしばあり、一度は襲われそうになった 事もあった。 こういう時の為にと習っていた訳ではないが、護身術が思った以上に役に立った。 が、男子生徒以上に質が悪いのが女生徒。 男性にもてている所と才能がある所、どちらも女生徒達の反感を買い、数々の嫌がらせを受 ける事になってしまった。 一部の女生徒達はどこから聞きつけてきたのか、サラがアルフォンスの本当の娘ではない事 をネタに酷い嫌がらせを始めたが、今の彼女にはその程度の事に屈服する様な弱さはなかっ た。 それでも時々母の事を思い出すと、涙が止まらない日もあった。 そんな日は自室から出ない様にし、周囲の者に自分の弱い部分は見せまいと努力していた。 そうして本来なら卒業まで五年はかかるのだが、サラはたったの二年で主席で卒業、それと 同時に博士号を見事に取得した。 アルフォンスが言っていた通りだったと、博士となったサラは何の未練もなくアカデミーを後に し、その足で国立研究所へ向かった。 「サラ、おかえり」 「ただいま、父様」 研究所の正面玄関で親子は再会を果たし、アルフォンスはサラを優しく抱きしめた。 久し振りの父の温もり…… サラは嬉しさの余り涙を溢れさせた。 素直に泣く事が出来る場所があるというのは本当に幸せなものだ。 アルフォンスは青髪をそっと撫で、サラが泣き止むまでずっと彼女を抱きしめていた。 そうしてその日は親子水入らずの時を過ごし、翌日アルフォンスはサラを研究所に勤めている 者達に紹介し、本人の望み通りサラは博士として国立研究所に勤務する事になった。 国立研究所には居住区があり、サラは他の者達同様そこに住み込む形で働き始め、アルフォ ンスと共に発掘や研究に勤しむ毎日を送っていた。 そんな楽しい日々があっという間に過ぎ去っていく中、サラは様々な人達との出会いを果たし た。 アルフォンスが研究を続けていく上で作り上げてきた人脈、それをそっくりそのまま受け継ぐ 様に、サラは父からたくさんの人を紹介してもらった。 まずはアルフォンスの昔からの親友であり、帝国の宰相を務めているホマレフ。 彼には資金面だけでなく、精神面でも助けられたそうだ。 後にサラがルドルフの家庭教師になったのも、彼の助言によるものだ。 次に、アルフォンスの情報源となっている情報屋の面々。 彼らは裏の世界で生きている者達だが、信頼出来る人格者ばかりで、サラは彼らとすぐに打 ち解け合う事が出来た。 そして大きな学会にて出会った科学者達。 学者の間では帝国・共和国の隔たりが比較的浅かった為、アルフォンスは共和国の科学者 達もサラに紹介した。 その中で一番印象に残った人物が、共和国一の科学者と言われているドクター・ディ。 彼はサラを相当気に入ったらしく、こまめに通信を入れたりと凄まじい熱の入れようであった。 しかしサラはドクター・ディを全く相手にせず、いつも軽くあしらっていた。 それが余計に面白かった様で、両国の軍が緊迫した雰囲気になり連絡が取り辛くなるまで、 ドクター・ディはサラとの交流を楽しんでいた。 ドクター・ディとの出会いと時を同じくして出会ったのは、サラにとって無二の親友となるミシェ ール。 ミシェールとの交流は通信や手紙のやり取りが主であったが、彼女を通じて共和国大統領で あるルイーズと知り合いになったり、共和国にある遺跡の事を教えてもらったりと、初めて出 来た本当の友達にサラは喜びを隠し切れなかった。 サラが毎日見るからにウキウキした様子であったので、アルフォンスは心の中でこっそり胸を 撫で下ろしていた。 イリーナを亡くした悲しみにより、サラの心の傷が再び開いてしまったかもしれない… そう心配していた自分が心底おかしく思えた。 自分と愛する女性の元に舞い降りた幼い天使は、もう一人で立てるまでに成長していたの だ。 しかし安心すると同時に、少し淋しい気もした。 これこそが親心なのだ、とアルフォンスは嬉しい様な悲しい様な微妙な気持ちを感じていた。 そうしてサラが十七歳になった年、アルフォンスは久々に軍と共同で遺跡の発掘を行う事にな った。 大規模な発掘であった為、サラも無理を言って発掘隊に同行し、そこで一人の青年軍人と出 会った。 自分とさほど年が変わらない唯一の軍人、ヒュース・ブラント少尉。 サラは同世代という事でヒュースとすぐに仲良くなり、発掘をしながら毎日色々な話で盛り上 がっていた。 実はヒュースはサラを一目見た時から好意を抱いており、密かにアプローチを仕掛けていたの だが、彼女は全く気づいた様子を見せず、ずっと『お友達』として接していた。 サラへの思いが抑えられなくなったヒュースは、後日自分と同じ思いを抱いている同士を集 い、軍内に彼女のファンクラブまで作ってしまった変わり種の軍人であった。 ヒュースが軍内でそんな事をしているとは夢にも思わず、サラは軍との共同発掘以降も彼と の交流を続け、仲の良い友達が増えたと喜んでいた。 それから三年後、サラが二十歳の誕生日を迎えた日、アルフォンスは誕生日プレゼントとして 彼女を中心とした研究室を設けた。 そして助手には同世代の者を、という事で今春ガイガロスの学校を卒業したばかりのステアと ナズナを呼び寄せた。 彼女達は以前国立研究所に研修に来た事があり、サラとも面識があったので三人はすんな りと打ち解け合い、他の研究室よりも賑やかに研究に励んでいた。 こうしてサラは誰からも一人前の博士として見てもらえる様になり、独自の怪しげな研究に勤 しむ傍ら、アルフォンス達と発掘を行ったりと充実した日々を過ごしていた。 しかしそんな幸せな日々が長くは続かない事に、アルフォンスだけが気づいていた。 少しずつ、だが確実に悲しみが再びクローゼ家を包み込みつつあった…… サラが自分の研究室を持つ様になって半年程経った頃、学会に参加する為に向かった町で アルフォンスが倒れてしまった。 始めは誰もが、多忙な人なので過労の為に倒れたのだろうと思った。 が、アルフォンスを診察した医師だけは深刻な事態に気づき、直ぐさま家族に連絡を取った。 アルフォンスの身内は今はもうサラだけであった為、父の現状を知った彼女は一人でその町 へ足を運んだ。 「父様!」 「あぁ、サラ。わざわざ来てくれたんだね、申し訳ない」 「何言ってるの、家族なんだから来るのが当たり前でしょ」 病室でサラを出迎えたアルフォンスは意識も口調もハッキリしており、一見元気そうに見え た。 しかし顔色は不自然な程青白く、ただならぬ状態を示していた。 サラは足早に医師の元へ向かい、無理を言ってアルフォンスのカルテを見せてもらった。 母の死をキッカケにサラはアカデミー在学中に医師免許を取得していたので、専門用語のみ のカルテももちろん読む事が可能。 大切な人が病に倒れた時、母の時の様に何も出来ないなんて堪えられない。 そう思って猛勉強の末取得したのだが、アルフォンスのカルテに一通り目を通したサラは、全 身から力が抜け呆然となった。 自分が持っている全ての知識、そして技術を以てしても手の施しようがない程の病状…… また自分は何も出来ない、と思わざるを得ない状況に陥っていた。 「残念ですが…もう我々に出来る事はありません……」 本来なら本当の事を家族に打ち明けるべきではないのだが、サラが医学に精通していると察 した医師は素直に現状を伝えた。 そんな事は聞かなくてもわかっている……!! そう叫びたい衝動に駆られながらもサラは必死にカルテを読み直し、頭の中にあるありったけ の知識をどうにか駆使しようと思案し始めた。 「何か……何かあるはず………」 「……クローゼさん、辛いでしょうがお父さんの傍にいてあげて下さい。彼はもう……長くあり ません……」 わかっていても認めたくなかったサラは、医師のその言葉でようやくカルテから目を離し、小さ くコクリと頷いてみせた。 最期を看取るべき者は家族。 母の時もそうだった様に、今度は自分がその役目を引き受けなくては…… サラは自分の無力さに泣きたくなりながら、それでも懸命に涙を堪えて父の元へ帰った。 アルフォンスは聞かなくても自分の死期が近づいている事を悟っていたらしく、寝転んだまま サラに微笑んでみせた。 「サラ、どうしたんだい?」 「…父様、どうして……どうしてもっと早くお医者様に診てもらわなかったの? もっと早くに診 てもらっていたら…こんな事には……」 「…そうだね、確かにお前の言う通りだ。でも…それでも私には守りたいものがあったんだ」 「守りたい…もの…?」 「お前と国立研究所。折角見つかったお前の居場所を失いたくなかったんだ……」 近年、共和国との争いが膠着状態にあった帝国軍。 しかし一人の野心に燃える軍人によって、軍のあり方が様変わりしつつあった。 その軍人の名はギュンター・プロイツェン。 プロイツェンは遺跡発掘に軍隊を使い、その絶大なる財力によって国立研究所よりも先に新 たな発見を次々と成し遂げていった。 このままでは国立研究所の存在意義が無くなってしまう… 現状に危機感を感じたアルフォンスは四方八方に手を回し、出来る限りの事をして国立研究 所を守り抜こうとした。 何度かプロイツェンから協力の要請もあったが、アルフォンスは彼の強引すぎるやり方に納得 がいかず、毎回断り続けていた。 その事が余計にプロイツェンの癇に障ったらしく、以前は紳士的な態度で要請などをしていた が、今ではあからさまに脅迫めいた言葉で通信をしてくる様になった。 しかもプロイツェンに裏から手を回され、軍からの出資金まで止められてしまい、アルフォンス は資金繰りでも走り回らなくてはならなくなった。 こうしてアルフォンスの体は疲労と心労で着々と病に蝕まれていったが、自覚症状はあった のに、彼は誰にも病の事を話さなかった。 娘であるサラにさえも…… それ程までにアルフォンスは自分の居場所であり、サラの居場所でもある国立研究所を守り たいと強く願っていたのだ。 彼をここまで突き動かしたもの、それは愛する女性と交わした約束。 彼女との約束を果たそうとした結果、アルフォンスの死期が早まってしまった。 本当はもっと違うやり方で守るべきだったのかもしれない。 しかし今のアルフォンスには守る手段が限定されており、こうなる事を予想はしていたが突き 進むしか術が無かったのだ。 アルフォンスはイリーナが旅立ってからの事を走馬灯の様に思い出し、一人残される運命に ある青髪の天使を見つめた。 「ありがとう、お前がいたから私はここまで頑張ってこれたんだよ…。だが……すまない事をし たと思っている…。ずっとお前の傍にいるつもりだったが…どうやら無理らしい……」 「そんな事ない! 私が……私が絶対治してみせるから、弱気な事言わないで……」 とうとう堪え切れなくて涙を零し始めたサラの頬を、アルフォンスは笑顔で優しく撫でた。 「サラ、そんなに悲しまないでおくれ…。父さんは母さんの所へ行くだけだ、何れお前も来る所 へね。ただお前はまだその時ではない、こういう事には順番があるものだ。きっとお前が行く 時には、傍らに愛する人が一緒にいるはずだ」 「…そんな人いないわ、私が愛する人は父様と母様だけだもん」 「いや、きっと見つかる。父さんにとっての母さんの様な人が……」 「……母様みたいな人なんて……見つかる訳ないよぅ………」 「大丈夫、お前ならきっと見つけられる。何と言っても私とイリーナの娘だからね、とても素敵 な人を見つけるだろう。始めはわからないかもしれないが、気づく時が必ず来る。だから…… いつも笑顔でいておくれ、私やイリーナに生きる希望を与えてくれた笑顔で………」 アルフォンスはイリーナを看取った時の様に笑顔を見せ、サラにも笑ってくれる様促した。 サラは急いで涙を拭き取り、気持ちを奮い立たせると、懸命に笑顔を作ってみせた。 この人もきっと、愛する女性を看取った時に笑顔を見せていたのだろう…… 敢えて聞かなくても何もかも察する事が出来たサラは、イリーナの葬儀での事を思い出してい た。 一度も涙を見せなかった父、あの頃は自分が弱いせいだと思っていたが、今はイリーナの為 でもあった事がわかる様になった。 『いつも笑顔でいておくれ…』 父の言葉が同時に母の言葉の様に思え、サラはどんなに辛い事があっても常に笑顔で乗り 切ろうと決意した。 アルフォンスの手を優しく握り、サラは笑顔のまま彼と最後となる会話を交わした。 今熱中している研究の事など、終始たあいのない話であったが、父が最期の時を迎えるまで サラは笑顔を絶やさなかった。 やがてアルフォンスが眠る様に息を引き取ると、今日だけはとサラは声を出して泣いた。 明日からまた笑顔になれる様に一晩で涙を枯らそうと、サラは温もりを失いつつあるアルフォ ンスに抱きつき泣き続けた…… アルフォンスの死によりサラは再び独りきりになってしまったが、父のお陰で自分の居場所だ けは手元に残ったのだった。 ●あとがき● 今回のお話は書いていて泣いてしまいました… 自分で考えたお話のクセに泣くなんて…とお思いでしょうが、実はサラにまつわるエピソード はどれも泣きました(笑) サラが不幸すぎて何とも…と泣いてしまったんです。 しかし一話に色々と詰め込んだので、結局は訳のわからないお話に仕上がりました(爆) 考えた私だけがわかってどうする!?というツッコミを自分で入れました。 やはり文章力の無さが原因ですねv 実はこの『転』にあたるお話は前後編に分けるつもりだったのですが、急遽一話にまとめた為 色々カットする部分が多くなってしまいました。 何故一話にまとめる必要があったのか、理由は長くなりすぎるから(笑) ドクター・ディやミシェール、ヒュースとの出会い、ルドルフの家庭教師になった時のエピソード など、全部書いていたらキリがないと思ったのです。 その辺のお話は後々短編で書きたいと企んでいます(そればっかりだな…) 『転』のお話はサラが再び両親を失うという所に焦点を絞った、そう思って下さいv ちなみにこのお話のタイトルについてですが、「永遠」→とわ、「離別」→わかれと読んで頂け ると有難いです。 フリガナを付けようか付けまいか迷った結果、タイトルだから付けない方がいいだろうと付けま せんでした。 この読みで読めた方はいらっしゃるでしょうか? 読めた方は私と思考回路が一緒です(いやっ!と言わないで…) |