「大地に舞い降りた 天使」
サラがクローゼ家に迎えられて一年程の時が過ぎた。 少しずつではあるが、サラは言葉だけでなく笑顔も取り戻していき、アルフォンスとイリーナを 本当の両親の様に慕い始めていた。 しかし救助された時から見ていたという恐い夢はまだ見続けており、サラは毎晩必ずイリーナ やアルフォンスと一緒に寝ていた。 心の傷を癒すには焦りは禁物。 その言葉を常に念頭に置き、アルフォンス達は焦らずゆっくりとサラの成長を見守る事にし た。 サラが健やかに成長していく中、それに呼応するかの様にイリーナの病状は回復の兆しを見 せ始め、主治医を大変驚かせた。 アルフォンスはひょっとするとサラは天使なのではないか、と思う様になっていった。 * アルフォンスは帝国一の科学者と言われている為か、帝国各地の学会に招待され、忙しい毎 日を送っていたが、週に一度はなるべく家に帰る様に心掛け、イリーナやサラとの穏やかな 日々を過ごしていた。 そんなある日…… 「ねぇ、アル」 「うん?」 「ずっと言おうと思っていたんだけど、サラが見る夢の事で話があるの」 「……まだ見ているのかい?」 「回数は減ってきているみたい。でも私と一緒に寝ていても、たまに魘される事があって…」 その頃、アルフォンスとイリーナにお茶を運ぼうとしていたサラは、ドアを開こうとノブに手を掛 けたところで二人の話が耳に入り、思わず立ち止まって聞き耳を立てた。 「……やはり両親が亡くなった日に原因があるのかもしれないな」 「町でたった一人の生き残りだったんでしょう? それなら見たくないものを見てしまっている可 能性が高いわ」 「そうだね…。何とか私達の手で忘れさせてあげられるといいんだが……」 アルフォンス達の話を聞いている内に、ノブに掛かっていたサラの手が力無く離れた。 辛い過去を思い出してしまったという訳ではない。 何故なら、思い出そうにも思い出せなかったから。 あの日……両親だけでなく友達や隣人の命が奪われた日の事は、サラの記憶からすっぽり と抜け落ちている。 目に見えない何かが覆い被さっている様なあやふやな記憶。 思い出したら自分が…全てが壊れてしまいそうな気がして恐ろしかった。 無理に思い出す必要は無いが、悪夢の実態を知るにはあの日の記憶が鍵となっている。 しかし自分で無意識に封印しているらしく、あの日の事は全く思い出せそうになかった。 「サラちゃん、どうしたの?」 ふと気づくといつの間にやって来たのか、ライザが心配そうにサラの顔を覗き込んでいた。 サラはとりあえず笑って誤魔化すと、ライザと共にアルフォンス達がいる部屋へ入って行った。 「二人共、丁度良い時に来てくれた」 サラ達が室内に入ると、アルフォンスとイリーナは何事も無かった様に微笑み、前々から画策 していた事を二人に話し始めた。 「もうすぐお前の誕生日だね」 「う、うん、そうだよ」 「町の人をたくさん呼んで、誕生日パーティを開こうと思っているんだ。いいかな、サラ?」 「誕生日パーティ…?」 「折角誕生日がわかったんだし、ぜひ皆でお祝いしたいんだ」 サラはあの日の記憶が思い出せないだけで、他の事は全て思い出していた。 自分の事や本当の両親の事… アルフォンス達を悲しませない様に両親の事はわからないフリをしていたが、自分の事は二 人に伝える事にした。 そうすると、二人がとても喜んでくれたからだ。 そして伝えて良かったと改めて実感し、サラは愛する両親にコクリと頷いてみせた。 「そうか、良かった」 「ご馳走いっぱい作りましょうね、ライザ」 「ええ、腕が鳴りますわ」 自分の言動によって喜んでくれる人がこんなにもいる… そう思うと、サラは死んでしまった両親や友達の事を心の奥底にしまえる様な気がし、これか らのアルフォンス達との日々をもっと大切にしていこうと心に決めたのだった。 後日行われた町を挙げてのサラの誕生日パーティは、アルフォンス達の予想以上に盛大なも のとなった。 体調がすっかり改善していたイリーナは、ライザと共に朝早くから巨大なケーキを焼き、サラに も飾り付けを手伝ってもらい、誕生日ケーキを用意した。 自分の為だけに用意されたケーキというものは、子供にとっては大変嬉しいもの。 アルフォンス達や町の人々が見守る中、サラはケーキに立っている自分の年齢と同じ数のロ ウソクの炎を吹き消し、四方から大きくて温かい拍手を浴びた。 ケルン町へ来て以来、一度も町の人達と交流した事が無かったサラは、始めは驚きと戸惑い の表情を見せていたが、皆の優しさに包まれる事によって少しずつ打ち解けていった。 サラの心の傷はアルフォンス達の人柄だけでなく、周囲の環境にも恵まれた為徐々に癒され ていき、恐い夢を見る回数も急速に減少傾向を見せ始めた。 サラの健やかな成長、そしてイリーナの病状改善。 全て自分が望んでいた事だが、逆に上手くいきすぎている様な気がして少々不安が残ってし まうアルフォンスであった。 * ……緑溢るる母なる大地に抱かれ………青い青い父なる大空に包まれし者……… ……鳥が歌う様に………私達も収穫の歌を歌おう……… 風に乗ってどこからか歌声が聞こえてきた。 自室で本を読んでいたイリーナは、その歌声の主を捜して外に出た。 「イリーナ…?」 振り返ると、愛しい男性がすぐ傍までやって来ていた。 イリーナは笑顔で人差し指を唇にあてがってから、アルフォンスにも見てもらおうとどこかを指 差した。 イリーナが指差した方を見てみると、サラが小鳥と共に楽しそうに歌を歌っている光景が目に 映った。 アルフォンス達が今まで一度も聞いた事の無い歌…… いつの間に覚えたのだろうか…? 「あの子が生まれ育った町の歌なのかもしれないわね…」 そうイリーナに言われ、アルフォンスはなるほどと頷いた。 故郷の歌を楽しそうに歌えるまで心の傷は癒えたのかもしれない、と希望を持って。 イリーナも同じ事を思ったらしく、アルフォンスに身を預けながら目を閉じてサラの歌声に聞き 入っていた。 「……天使ね、あの子は」 「ああ、天使だよ。私達の…大切な天使だ」 この光景を一生忘れないでおこう。 アルフォンスもイリーナも満面の笑顔で青髪の天使を眺め、彼女が歌い終わるまでその場に 佇んでいた。 * 「母様、見てみて〜v」 イリーナの部屋に、サラが嬉しそうに駆け込んで来た。 彼女の手には大きなお皿、そしてその上には焼きたてのケーキが乗っていた。 「まぁ、おいしそうv とうとう一人で焼ける様になったのね」 「えへへ、でもちょっとライザさんに手伝ってもらっちゃった」 「それでも一人で焼いた事に代わりはないわ。ご苦労様、サラ」 「うん!」 「じゃ、早速頂こうかしら。用意して下さる? かわいいパティシエさん」 「は〜い、お客様v ライザさんも呼んでくるね」 サラはいそいそとテーブルにケーキを置くと、軽い足取りでライザを呼びに行った。 サラが置いていったケーキに目をやったイリーナは思わず笑みを浮かべ、焼きたてのおいしそ うな匂いを堪能し始めた。 するとその時、ここしばらく忘れていた胸の痛みが突然襲い掛かり、イリーナは眉を顰めなが らテーブルに這い蹲った。 (まだ……まだダメよ………私には……まだ…………) イリーナはのろのろと立ち上がると、傍にある棚に駆け寄り、引き出しの中から小さな瓶を取り 出した。 その小瓶に入っているのは、彼女用に作られた錠剤。 イリーナは急いで錠剤を口に含み、水無しで一気に飲み込んだ。 そうして何とか痛みが治まった頃、サラがライザと共に紅茶を持って戻って来た。 「お待たせしました、お客様v」 サラは満面の笑みを浮かべてテーブルに紅茶を置いたが、何となくイリーナの様子がおかし い事に気づき、心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。 「母様、どうかした…?」 「ううん、何でもないわよ」 「本当…? 疲れたのならベッドへ横になった方がいいよ?」 「……ふふふ、サラったら。何をそんなに心配しているの?」 「だ、だって……」 「実はね…私、ケーキをつまみ食いしちゃおうって思っていたの。でもそう思って食べようとし たら二人が来ちゃって、ちょっぴり慌ててしまっただけよv」 「……もぉ、そんなに焦らなくても母様の分もちゃんとあるよ。つまみ食いなんてしちゃいけま せん」 「はい。ごめんなさい、パティシエさん」 「よしv じゃ、そろそろケーキを切り分けます。ライザさんは母様の隣に座ってね」 イリーナとライザに椅子を勧めると、サラは非常に手際良くケーキを切り分け、紅茶も人数分カ ップに注いで自分も席に着いた。 そうして三人がケーキを食べ始めようとすると、突然ドアが勢い良く開け放たれ、アルフォンス がひょっこり顔を出した。 「おいしそうな匂いがすると思ったら…三人だけで焼きたてのケーキを食べるなんてズルイじ ゃないか。私の分はないのかい?」 イリーナもサラもライザも、アルフォンスは三日後にしか帰って来ないと思っていた為、驚きの 余り目を丸くして動きを止めた。 そんなに驚くとは思わなかったアルフォンスが照れ臭そうに微笑むと、いち早く我に帰ったサ ラが彼の元へ駆け寄った。 「おかえりなさい、父様」 「ただいま、サラ」 「父様の分のケーキもあるよ、こっち来て」 サラに手を引かれてアルフォンスが席に着くと、イリーナとライザはにっこりと彼に微笑みかけ た。 「おかえりなさい、アル」 「おかえりなさいませ、旦那様。お早いお帰りだったんですね」 「ああ、学会が思ったより早く終わってね。これからしばらく発掘の予定もないし、久々に家で のんびり出来そうだ」 「研究所の方は大丈夫なの?」 「たまに顔を出せば大丈夫、私がいなくても研究を続けられる優秀な博士と助手がたくさんい るからね」 「そう、良かった……」 あからさまに態度には出さないが、イリーナが嬉しそうな笑顔を見せると、アルフォンスだけで なくサラやライザもつられて笑顔になった。 「はい、父様の分」 「ありがとう」 テーブルに四人分のケーキと紅茶が並べられると、アルフォンス達は仲良くケーキを頬張り始 めた。 「このケーキおいしいね、ライザが焼いたのかい?」 「いえ、今日はサラちゃんが一人で焼いたんですよ。ね?」 「うん、私が焼いたの」 「へぇ、もう一人で焼ける様になったんだね。すごいなぁ」 「えへへ、母様とライザさんのご指南のお陰ですv」 アルフォンスは照れ臭そうに微笑むサラの頭を優しく撫でてやり、イリーナに目で礼を言った。 サラの心の傷を癒した一番の功労者はイリーナ。 例え子供を産んでいなくとも、女性には生まれ持った母性がある。 イリーナには特に素晴らしい母性が備わっている、とアルフォンスは今更ながらに実感したの だった。 和やかなティータイムが終わりを迎えると、サラはアルフォンスと庭へ散歩に出掛けた。 アルフォンスが家にいる時はよく家族で散歩に出ているのだ。 二人は仲良く手を繋ぎ、いつもと同じルートをのんびりと歩くと、最後に庭にある木の中で一番 の大きさを誇る大木の元へやって来た。 その大木の根元で談笑したり、本を読む事がクローゼ家では憩いのひとときとされている。 今日は残念ながらイリーナは一緒ではないが、二人だけでも充分楽しいので、サラとアルフォ ンスは大木の根元に腰掛け談笑し始めた。 「サラ、この木はね、父さんと母さんが生まれる前からこの場所に立っていたんだ。きっと数百 年、数千年の昔からここに住まう人々を見守ってきたんだろうね」 「私の事も見てくれてるかなぁ?」 「もちろん見てくれてるさ。私とイリーナも、いつもお前を見ているよ」 「ふふふ、私も父様と母様の事いつも見てるねv」 「そうか、それは心強いな。ありがとう、サラ」 「どういたしましてv」 アルフォンスが言った言葉には色々な思いが込められていたのだが、子供であるサラには全 ては伝わっていなかった。 ただいつも自分を見ていてくれる、自分という存在を認めてくれる人がいる。 天涯孤独の身であるサラにとって、アルフォンス達は何よりも大切な人となっていた。 その事を本人から聞かなくてもわかっていたアルフォンスは、愛する女性の生きる活力となっ てくれた青髪の天使を愛おしそうに眺めていた。 「サラは?」 「ぐっすり眠ってたよ」 「あなたが早く帰って来てくれた事が嬉しくて、はしゃぎすぎちゃったのね」 「そうなのかな…?」 「そうよ。それに小さくても灯りを点けてさえいれば一人で眠れる様になったし、あの子はもう 大丈夫ね」 「ああ。君のお陰だ、ありがとう」 「何言ってるの、あなたのお陰よ」 アルフォンスは満面の笑みを浮かべているイリーナの傍まで歩み寄ると、彼女の頬を優しく撫 でてから唇を重ねた。 「顔色が優れない様だね、そろそろ休んだ方がいい」 「アル……」 「うん?」 イリーナは潤んだ瞳でアルフォンスを見上げ、今自分が何を欲しているのか目で訴えた。 もう二十年以上も夫婦をしているのだから、アルフォンスは彼女の気持ちを瞬時に理解してい た。 イリーナが欲しているものとは年に数える程しか出来ない事、要するに夫婦の営み。 イリーナの体の事を考え、アルフォンスはなるべく控える様にしていたが、若い頃はやはり抑 え切れなくて彼女に無理をさせてしまっていた。 ここ十年程はようやく理性を保てる様になり、イリーナに強要する事は無くなったが、そうなれ た今になって彼女の方から求めてくるとは思わなかった。 これまで求めていたのは常に自分、それが今夜はイリーナの方から。 一度は求めてほしいと思った事もあったが、アルフォンスは驚きの余り目を丸くしてイリーナを 見つめた。 「……イリーナ、体は大丈夫なのかい?」 「サラが来てくれてから、体調が良くなっているって知っているでしょ?」 「しかし……」 イリーナの体調の変化に、アルフォンスは何となく気づいていた。 イリーナもアルフォンスに気づかれているとわかっていたが、敢えて何も言わずに彼の胸に縋 り付いた。 「私の事、もう抱いてくれないの…?」 「そ、そんな事はない。だが、君に無理をしてほしくないんだ」 「私は平気よ、だからお願い……」 アルフォンスは悩みに悩んだ末イリーナを抱き上げると、颯爽とベッドへ向かった。 久々に見る愛する女性の肢体は、長い間床に臥していた為に非常にか細くなっており、抱き しめるだけで簡単に折れてしまいそうな印象を受けた。 それでも変わらぬ美しさを保っている女性らしい体のラインを見ていると、アルフォンスは抑え ていた欲望があっさりと解放され、イリーナの首筋に顔を埋め愛撫を開始した。 イリーナは愛しい男性との繋がりを再確認出来た喜びで胸がいっぱいになり、体力が続く限り 体を重ねようと、アルフォンスの愛撫に終始身を任せていた。 しかしこの日の行為が二人にとって最後の交わりになろうとは、アルフォンスもイリーナも現時 点では知る由もなかった…… ●あとがき● 起承転結の『承』にあたるお話でしたが、承にはなり切れない内容となりました。 全ては私の文章力のせい…… 色々詰め込みすぎてごちゃごちゃになってしまいました。 長編に出てきたエピソードを全て入れようとしたのが最大の敗因。 とりあえず『恐い夢』『故郷の歌』『家の近くの大木』のお話だけは外せない、と私なりに頑張 って書きました。 故郷の歌の歌詞は…敢えてツッコミはしないで下さいねv 町の歌ですから収穫祭などで歌う歌が基本かな?と思って考えました。 そして大木のエピソードは予想に反して短くなりました。 という訳で少々補足(笑) あの大木はアルフォンス達の先祖がZiに来る前からあの場所に立っていました。 そういう設定にしておいて下さい。 どれだけ大きな木なんだ!?と疑問に思われるかもしれませんが、ハッキリとした大きさは決 めていません(爆) とにかくでかい!という木です。 着々と暗い方向に突き進んでいるサラの過去シリーズ。 次の『転』にあたるお話ではとうとうどん底まで堕ちます… そこからサラがどう這い上がってくるのか、温かく見守ってやって下さい。 |