【学園編】
第二話

「歓迎会」


夢の様な時間を過ごした昼休みが終了し、カールが足早に教室へ戻ると、教員が来ていない
のをいい事に、またしても生徒達がサラの周囲に集まっていた。
その光景を見た途端、カールは思わず生徒達の輪の中に割って入り、わざとサラの前で立ち
止まった。
「もうすぐ授業が始まるよ、席に着いていた方がいいんじゃないかな」
カールはにっこりと爽やかな笑みを浮かべて言うと、サラを促して一緒に自分の席へ向かっ
た。
女生徒達はカールの笑顔を見る事が出来た為、得をしたと思いながら各々の席へ戻り、一方
男子生徒達はあからさまにイヤそうな顔をしてカールを睨むと、こちらも各々の席へ散って行っ
た。
「ありがとう」
サラは皆に聞こえない様に小声で礼を言い、それに対しカールはようやく引きつった笑みでは
なく、心からの自然な笑みを浮かべて頷いてみせた。
昼休みの一件のお陰で、心に多少は余裕が出来た様だ。
そして午後の授業が始まり、以降の休み時間は午前に比べてサラの周囲に集まる生徒の数
は減り、カールは彼女を見守りつつ安堵あんどしていた。
喧騒けんそうから解放され、自由になったサラは友達を作ろうと精力的に動き、キルシェにクラスメート
を紹介してもらいながら、女生徒達とすぐに打ち解け合う事が出来た。
キルシェが気を遣ったのか、男子生徒の紹介は後回しになったらしい。
全ての授業が終了して放課後になると、サラの元へ女生徒達が集まり、何やら賑やかに談
笑し始めた。
「あ、良かったら、シュバルツ君もどう?」
「え…?」
突然キルシェに話を振られ、帰り支度をしていたカールは驚いて手を止めた。
すると、サラの周囲に集まっていた女生徒達がささ〜と一箇所に集まり、カールを見ながらこ
そこそと密談し始めた。
やがて話がまとまると、そのむねをキルシェに耳打ちして伝えた。
そこまでしなくても、とカールが思っていると、やれやれといった様子のキルシェが彼に詳しい
事を話し始めた。
「これから食堂でサラの歓迎会をしようって事になったの。だからあなたもどうかなって思った
んだけど…」
キルシェはそこまで言うと何故か一旦言葉を切り、続きは女生徒達に聞こえない様に小声で
話した。
「もし何か用事があっても、少しだけでいいから参加してもらえないかしら? 皆相当期待しち
ゃってて、あなたが来なかったら後が大変なの」
「そうか…。まぁ、今日は何も用事は無いし、喜んで参加させてもらうよ」
カールは特定のクラブに入っていないが、助っ人を頼まれる事がしばしばあり、放課後は結構
忙しい。
その事はキルシェを始めとして女生徒達は全員知っている。
だからこそキルシェは『少しだけ』と言ったのだ。
今日は偶然スケジュールが空いていたので、サラの歓迎会に参加出来るという幸運が舞い
込んできた。
用事が無くて本当に良かった、と心から思うカールであった。



「おい、ハルトリーゲル。当然俺も参加していいよな?」
突然背後から声を掛けられ、カールは普通に、キルシェは「ギギギ」と音がしそうな程ゆっくり
振り返ると、そこにはやはりラルフが立っていた。
「あら、ラルフ。まだいたの?」
「冷たい事言うなって。俺だって歓迎会に参加する資格あるだろ? クラスメートなんだしさ」
「ん〜、仕方ないわねぇ。サラは優しいからきっといいって言うだろうし、参加を認めましょ。た
だし、必要以上にサラにちょっかいを出さないでよ、わかった?」
「了解、りょ〜かい。心配しなくても大丈夫だ、俺はフェミニストだからな」
「どーだか」
「じゃ、俺は先に食堂へ行ってるぜ」
ラルフは見るからに軽い足取りで教室から出て行き、彼を呆れた表情で見送ったキルシェは、
たくさんの突き刺さる様な視線に気付いて周囲を見回した。
こうなる事は予想していたが、教室内の男子生徒全員が『歓迎会に参加させてくれ』と目で訴
えていた。
ラルフの参加を認めたからには、彼らの参加も認めざるを得ない。
キルシェが男子生徒達に向かって頷いてみせると、彼らは狂喜乱舞しながら一斉に食堂へ駆
けて行った。
「ごめんね、サラ。男子は参加させるはずじゃなかったんだけど断れなくて…」
「ううん、いいの、気にしないで。こういう事は大勢の方が楽しいし、ね?」
キルシェの傍にやって来たサラは笑顔でそう答えると、同意を求める様にカールを見上げた。
間近で見るサラの笑顔は非常に愛らしく、カールの呼吸は一瞬止まりそうになったが、慌てて
目を逸らす事によって難を逃れた。
「そうだね、俺も大勢の方が楽しいと思うよ」
「ん〜、まぁ、二人がそう言うのなら、あの人達の参加も認めなくちゃいけないわね」
キルシェは教室の外を指差して言い、呆れた様に肩をすくめてみせると、サラとカールは彼女
が指差した方を見、ぎょっとなって苦笑し合った。
教室の外…廊下には数え切れない程の生徒が集まっていたのだ。
たった一日でサラの事が学園中に知れ渡ってしまった様だ。
その証拠に高等部の生徒だけでなく、中等部・初等部の生徒もチラホラ紛れている。
ひょっとしたら『シュバルツ』以上に『クローゼ』の名は有名なのかもしれない。
キルシェは集まった生徒達にテキパキと歓迎会会場が食堂である事を教え、サラに迷惑を掛
けない様に注意しつつ、カールに声を掛けた。
「ここは私が何とかするから、あなたはサラを食堂へ案内してあげて」
「わかった」
カールはサラを促して足早に教室を後にし、校舎一階にある巨大な食堂へ案内した。
食堂には既にたくさんの生徒、教員が集まっており、サラが食堂に入ると、彼らは一斉に彼女
の元へ押し寄せて来た。
サラは次々出される問い掛けにあたふたしながら答えていたが、その様子を見兼ねたカール
は彼女の手を取り、少々強引に食堂の中心に引っ張って行った。
「歓迎会の主役を困らせるような事はしないでもらいたいな」
カールはにっこりと冷たい笑みを浮かべて言うと、歓迎会の準備をしているクラスメートの女生
徒達の元へ向かった。
彼女達は一日中サラを質問責めにしていた為もう問い掛ける事もなく、クッキーなどのお菓子
を一緒に机の上に広げ始めた。
そうして歓迎会の立案者であるキルシェが食堂にやって来ると、サラの歓迎会が盛大に始ま
った。
キルシェやクラスメートのお陰でサラは皆に詰め寄られる事も無くなり、終始皆と談笑して楽し
い時間を過ごしていた。
しかしそんな穏やかな雰囲気を見事にぶち壊す者が現れた。
その人物とは外見がどう見てもオヤジ…いや、少々老け顔の男子生徒、女生徒達が皆口を
揃えて『女たらし』というカールのクラスメート、ラルフである。
ラルフは隙を見てサラの傍にやって来ると、いきなり彼女の肩に手を回し、こそこそと話し出し
た。
何だかんだ言いながら、ちゃっかりサラの隣を陣取っていたカールの耳にも、ラルフのこそこそ
話が聞こえてきた。
「サラ、歓迎会の後ちょっと付き合ってくれないか?」
「え…? 付き合うってどこへ?」
「俺の事をもっとよく知ってほしいんだ。どういう意味かわかるだろ?」
サラの事を『サラ』と呼んで良い男は自分だけだと勝手に思い込んでいたカールは、ラルフが
彼女の名前を言った瞬間ピクリと反応し、それに追い打ちを掛ける様に話が妙な方向に流れ
たので、怒りがすんなりとピークに達した。
「…おい、ラルフ」
「ん? あぁ、シュバルツか。今いいところなんだ、邪魔しないでくれ」
直ぐさま口説くどきを再開するラルフに、カールはにっこりと冷淡な笑みを浮かべてみせ、サラの
肩にまだ回したままの彼の腕を掴んだ。
もちろんただ掴む訳ではなく、握力を計測するつもりなのか?と思わせる程渾身こんしんの力で掴ん
でいた。
「い、いてぇ! なんだよ、シュバルツ!?」
「今日会ったばかりの女性にもう手を出そうとするとは…呆れたヤツだな」
「俺が何をしようと俺の勝手だ、お前にどうこう言われる筋合いは無い」
「ラルフ、お前というヤツは…。いい加減その性格直したらどうだ?」
「うるさい、俺の事よりお前こそそのお堅いところを直せよ」
突然カールとラルフが言い合いを始めてしまい、二人の間にいたサラはオロオロと困った様子
でキルシェに助けを求めた。
声に出しては呼べない為、身振り手振りで。
サラのサインに気付いたキルシェは慌てて三人の傍に駆け寄り、ラルフの耳を思い切り引っ
張った。
「いててて…!」
「ラルフ、あなた確か『俺はフェミニストだ』って言ってたわよねぇ。これは一体どういう事か、説
明してもらえるかしら?」
「ふん、若い男女が仲良くなる為には手段なんて選んでられねぇんだよ」
「仲良くなりたい本人を目の前にして、よくそんな事が言えるわね」
「俺は正直者だからな」
もう開き直るしかないのか、ラルフは自信満々に言い放つと、再びサラを口説こうと彼女に迫
った。
すかさずキルシェが止めようとすると、その前にサラはキッとラルフを見上げ、先程カールが見
せた表情と同じ様な冷淡な笑みを浮かべた。
「ごめんなさい。あなたの気持ちは嬉しいけど、私あなたみたいな人大嫌いなの」
「なっ…!? 俺のどこがいけないって言うんだ?」
「どこって…えっと……たくさんありすぎて説明出来ないわ。ねぇ、キルシェ?」
「その通りよ。残念だったわね、ラルフ」
キルシェもサラと一緒になって冷淡な笑みを浮かべ、立ち去れと言わんばかりにヒラヒラと手
を振ってみせた。
ラルフは悔しそうに舌打ちすると、どういう訳かカールをギロッと睨み付け、食堂から足早に去
って行った。
「サラ、謝ってばかりになるけど、ごめんなさい。あなたの歓迎会なのに、気分悪くさせちゃっ
て…」
「ううん。彼の参加を認めたのは私だし、あなたが気にする事は無いわ」
サラがそう言うと、一連の騒ぎを静かに見守っていた生徒達は再び賑やかに話し出し、その
様子に気付いたキルシェは安堵の表情を浮かべた。
そうしてふと食堂内の掛け時計に目をやると、驚いた様な表情で焦り始めた。
「いけない、もうすぐ夕食の時間だわ。皆が集まる前に片付けなきゃ」
「キルシェ、私も手伝うわ」
「気持ちは有難いけど、今日の主役にそんな事はさせられないわ。後片付けは私達だけで大
丈夫、あなたは夕食までゆっくりしてて。シュバルツ君、サラの事お願いね」
「ああ」
キルシェは見事な統率力で皆を動かし、テキパキと食堂内を片付けていった。
皆の邪魔にならない様に食堂の隅へ移動したカールとサラは、後片付けが終わるまで話しな
がら待つ事にした。
「さっきはありがとう」
「え、あ、うん。大した事は出来なかったけど」
「そんな事ないわ。あなたが止めてくれなかったら、私どうなっていたか…。男の人に肩を抱
かれるなんて初めてだったから、訳がわからなくなっちゃって逃げられなかったの」
サラが言った『初めて』という言葉に、カールは改めてラルフに対し怒りを感じた。
あの女たらしと名高いラルフが、肩に手を回すだけとは言えサラの初めての相手になると
は…!!
出来る事なら自分が初めての相手になりたかったが、カールの様な奥手な者には到底無理
な話だ。
こういう場合はラルフの様な性格のヤツが得をする。
ラルフに対して怒りと同時に羨ましさも感じつつ、カールはずっと気になっていた事をサラに何
気なく尋ねてみた。
「…そう言えば、ラルフにも名前で呼ぶように言ったんだね」
「え…? 言ってないよ、そんな事」
「でもさっきラルフが…」
「あれはあの人が勝手に言い出したの。私、あなた以外に名前の事は言ってないもん」
「そ、そうなのか…」
カールは見るからに安心した笑みを浮かべ、ほっと胸を撫で下ろした。
しかもよくよく考えてみると、自分はサラの事を名前で呼ぶ事が許された最初の異性。
これも一応『初めての相手』と言えなくもない。
如何いかにもカールらしいと思わせる程、地道な第一歩であった。



やがて夕食を食べに生徒達が食堂に集まり始めると、その混雑に巻き込まれない様にカー
ルはサラを誘導し、キルシェやクラスメートがいる席へと向かった。
何故かいつも以上に熱い視線を全身に感じつつ、カールはサラの隣の席に座り、キルシェ達
と共に夕食を食べ始めた。
「や〜ん、すごい組み合わせ〜v」
「ほんと〜、めちゃくちゃになる〜v」
背後から声は大きかったがこそこそ話が聞こえ、カールが思わず振り返ると、思い切り女生徒
達と目が合った。
その瞬間、女生徒達の目はハートマークになり、一人がふらっと床に倒れ込むと、周囲の者
達は慌てて彼女を助け起こし、驚くべき早さで食堂から出て行った。
あからさまに自分とサラが見られていた、と思ったカールは先程のこそこそ話の内容を思い出
し、嬉しさで顔がにやけていた。
『画になる=お似合いのカップル』という図式がカールの脳裏に浮かんだのだ。
本当はそこまで深い意味は無かったと思われるが、カールは自分が出した結論に心から幸
せを感じていた。
カールの周囲がのほほんとした空気に包まれているとは全く気付かず、彼の向かいの席に座
っていたキルシェは、夕食を食べ終えつつあるサラに話し掛けた。
「サラ、今日は色々あったから疲れちゃったんじゃない?」
「ううん、そんな事ないよ。あなたのお陰でお友達がたくさん出来たし、楽しい事ばかりの一日
だったわ」
「そっか、そう言ってもらえると紹介した私も嬉しいわ。でも今日は疲れが残らないように早め
に休んでね」
「うん、そうする。ありがとう、キルシェ」
サラはキルシェと非常ににこやかな雰囲気で話すと、自分が使用した食器をテキパキと一ま
とめにして立ち上がった。
「じゃ、私そろそろ行くね」
「うん、おやすみなさい」
「おやすみ」
しばらく自分の世界に入っていたカールは、やや遅れて別れの挨拶に気付き、極力平静を装
いながらも慌てて後ろを向くと、サラを見上げて目で必死に訴えた。
すると、カールにも挨拶するつもりだったサラはすぐ彼の視線に笑顔で応え、まだ名前で呼ぶ
のは照れ臭いのか、皆に聞こえない様にカールの耳に口を寄せた。
「おやすみなさい、カール」
「あ、お、おやすみ……サラ…」
よく考えると、学園内で名前を呼ばれるのは初めてだったので、カールは普段の彼からは想
像も出来ない程ドギマギしていた。
しかもサラの名前を口にしたのも初めてで、今日は初めて尽くしの良い一日だった、とドギマ
ギしながらも胸中ではのん気な事を考えるカールであった。



食堂内からサラの姿が無くなり、もうここにいる必要はないと判断したカールは、女生徒達の
熱〜い視線を全身に浴びつつ、キルシェやクラスメートに挨拶して食堂を後にした。
そうして学生寮に向かって歩いていると、中庭に差し掛かった所で見覚えのある美しい青髪
が目に入った為、カールは思わず立ち止まり、こっそりと中庭の様子をうかがった。
中庭では青髪の女性…サラが放置してあったハングライダーをいそいそと折り畳んでいた。
(あのハングライダーは折り畳み式だったのか…。随分ずいぶん小さく出来るんだなぁ…)
元の大きさから考えると、四分の一程の大きさまで折り畳めるらしく、カールはしきりに感心し
ながら様子を見ていたが、サラがハングライダーを持ち上げようとした途端、驚くべき光景を
の当たりにした。
「よっ……あれ? よいしょっ………ん〜、おかしいなぁ…」
サラは何度も挑戦したが、ハングライダーはピクリとも動かなかった。
自身が乗って来たものを持ち上げられないとは……何てかわいい女性ひとなんだ…!
ここで助けに行かなければ男ではない。
そう思ったカールは妙に堂々とサラの元へ歩み寄り、驚いて振り返った彼女に微笑んでみせ
た。
「一人じゃ大変そうだね、俺で良かったら手伝おうか?」
「うん、ありがとう」
サラは二人で持ち上げようとハングライダーに手を掛けたが、カールは一人で大丈夫と断り、
ハングライダーをひょいと持ち上げた。
サラのハングライダーは造りがしっかりしていて見た目以上に重く、これはさすがに男でなくて
は持ち上げられない重さであった。
しかし先程サラは一人で頑張っていた。
一人でも持ち上げる事は可能だと思ったのか、ただ気付かずにいただけなのか、どちらにしろ
少々疑問があったカールは、サラを怪訝けげんそうな目で見つめた。
「ん…? 何?」
「こんなに重いものを一人で持とうとするなんて……結構無茶をするんだね」
「えへへ、一人でも何とかなるって勘違いしてたの。よく考えてみたら、今朝研究所を出る時
は研究員の皆に手伝ってもらったのに、すっかり忘れてたわ」
「…今日は忙しかったからな、忘れるのも無理はない」
「そうね。でも忙しいというより、楽しい方が大きかったわ。あなたやキルシェ、同世代のお友
達がたくさん出来たもの」
「研究所には同世代はいなかったのかい?」
「大半が年上で、同世代は数えるくらいしかいなかったの」
「へぇ、大変だったんだね」
「ふふふ、そうでもないわよ」
二人は談笑しながら学生寮へ向かい、男子禁制の女子寮の入口にやって来ると、カールは
困った様な表情でサラを見つめた。
が、そんな事になっているとは全く知らないサラは、女子寮内をズンズン突き進むと、笑顔で
振り返ってカールに手招きした。
ここまでは自分が、そして後はサラに任せる、などと言う訳にもいかない為、カールは周囲を
キョロキョロ見回すと、誰もいない事を確認して小走りで彼女の後を追った。
「えっと、私の部屋は………あ、ここだ」
サラは自分の部屋を見つけると、ドアの傍に設置されてある機械にロックを解除する為のナン
バーを入力した。

『0512』

カールはその四つの数字を心に強く焼き付けた。
別に悪用しようというつもりはない。
しかしいつか役に立つ時が来る、かもしれない。
今はそういう事にしておこう。
「さぁ、どうぞ、入って」
「あ、うん」
サラに促され、彼女の部屋に足を踏み入れたカールは、少々期待に胸を膨らませながら室内
を見回したが、中にはダンボールの山しか無かった。
今日引っ越したばかりなのだから、当たり前の光景だろう。
ガッカリしているカールに、サラは相変わらず気付いた様子もなく、今思い出したといった表情
で傍にあったダンボールを開け始めた。
「ハングライダーはその辺りに適当に置いてくれるかしら?」
「わかった」
カールは言われた通りハングライダーを適当な所に置くと、手持ち無沙汰ぶさたになって困ってしま
った。
そうでなくても男子禁制の女子寮内にいて非常に緊張しているのだ。
何かしていないと落ち着かない。
カールがオロオロしていると、そうなる事を見越していたのか、サラはダンボールの中からティ
ーポットとカップを二つ取り出し、室内の小型キッチンへ向かってお湯を沸かし始めた。
「おいしい紅茶があるの。良かったら飲んでいって」
「う、うん、ありがとう」
サラは実に手際良くティーポットに紅茶の葉とお湯を注ぎ、ティーポットと同じダンボールに入
っていたクッキーを小皿に盛ると、呆然と立ち尽くしているカールの元へ運んだ。
「あ、座る所が無かったわね。ん〜……じゃ、とりあえずベッドに座ってくれる?」
「え、えぇ!? ベ、ベ、ベベ、ベッド!?」
「うん、他にいい場所が無いから」
「そ、そ、そうだね、じゃ、じゃあ失礼します」
サラは別に深い意味も無く、普通に座る所を提供しただけなのだが、カールはダメだと思いつ
つ妙な受け取り方をしてしまい、頭の中が真っ白になっていた。
好きな女性の部屋で好きな女性と二人っきり…
ひょっとしたら今が告白の絶好の機会!?
そう瞬時に判断したカールは、サラの茶色い大きな瞳をじっと見つめた。
「……サラ」
「なぁに?」
「突然で驚くかもしれないけど、俺…君が……君の事が………す……す………」
「???」
カールが何を言いたいのかわからなかったサラは、彼の次の言葉を固唾かたずを呑んで待っていた
が、なかなか言い出しそうになかったので自分から聞く事にした。
「私が…何?」
「君が…す…………す………」
たった二文字の言葉を言うのに、カールは何度も詰まってしまった。
やはり出会ったその日に告白など、無理な話だったのだ。
しかし告白は止めようと決意したものの、今の妙な雰囲気を払拭ふっしょくしない事には話が終わらな
い。
無理矢理話の内容を変えるのは不自然だが、こうなったら最後まで誤魔化ごまかし抜こう。
サラに深く詮索されない事を祈りつつ、カールは用意してもらったクッキーを頬張ほおばると、にっこり
と少々引きつった笑みを浮かべた。
「これ、君が焼いたのかい?」
「え、あ、うん、そうだよ。よくわかったね」
「売ってるものより数倍おいしいから、そうじゃないかと思ってね」
「や、やだ、もう……お世辞なんか言っちゃって…」
「お世辞じゃないよ、本当の事を言っただけだ」
サラは照れを誤魔化そうと紅茶を何度もスプーンでかき混ぜ、その微笑ましい様子を笑顔で
眺めていたカールは、見事に話題を変える事に成功したと胸を撫で下ろした。
しかも成功すると同時にサラのかわいらしい仕草を見る事が出来、自分の話術もまだまだ捨
てたものではない、とカールは満足気に微笑んでいた。
「…あ、そう言えばあなたに聞きたい事があるの」
「何だい?」
「新しい部を作るには、部員は最低何人必要なの?」
「えっと……確か十二人、だったと思う」
「じゅ、十二人!? そんなに多いの!?」
「昔は五人だったんだが、妙な部が異常に増えて収拾がつかなくなったらしくてね。だから簡
単に作れないように、十二人に増やしたそうだよ」
「へぇ、そんな事があったんだ。それじゃあ仕方ないけど……参ったなぁ、五人なら大丈夫だっ
たのに…」
眉間みけんにシワを寄せ、如何にも困ってますと言わんばかりに悩むサラを横目で見、カールは彼
女の為に何か出来る事はないかと思案し始めた。
すると、意外とすんなり出来る事を発見した。
自分は決まった部に所属していない。
という事は、サラが作る新しい部に正規の部員として入る事が可能だ。
「サラ、もし良かったら俺…」
「あ、そうそう。キルシェに聞いたんだけど、あなたってどこの部にも入っていないそうね?」
カールが思い切って入部の事を話し出した途端、ほぼ同時にサラも話し始めてしまい、小声
だった彼の声は見事にき消された。
入部を勧誘する気満々になっているサラは、カールの苦笑に一切気付かず、瞳をキラキラ輝
かせながら彼に迫っていった。
一見すると、サラがカールを襲おうとしている様に見えなくもない。
カールは間近にある大きな瞳にドキドキし、必死に目を逸らして話を続けた。
「そ、そうだよ。俺は決まった部には入ってない」
「じゃあじゃあ、私の部に入ってくれない? たまに顔を出すだけでいいから。ね、お願い」
「ん〜、どうしようかなぁ……」
始めから答えは出ているのに、カールはわざと悩んでいるフリをすると、横目でチラリとサラを
見てみた。
サラは先程とは打って変わってシュンとした表情になり、断られる事を覚悟した様子でカール
の返事を待っていた。
今のカールにはサラがどんな表情をしても全て愛らしく思えるので、返事をするのをすっかり
忘れて呆然となった。
「カール…?」
「え……? 何?」
「やっぱり………ダメ?」
「あ……いや、ダメじゃないよ。喜んで入部させて頂きます」
「ほんと!? ありがとう、すごく嬉しいvv」
サラは満面の笑みを浮かべ、嬉しさの余りカールの手を握ると、ブンブンと上下に揺らした。
カールはサラが喜んでくれた事と手を握られた事、どちらに重点を置いて幸せを感じれば良い
のかわからず、内心あわあわしながら彼女が落ち着くのを待った。
「と、ところで、どんな部を作るんだい?」
「あ、そっか、肝心な事を言ってなかったわね。私が作る部は……『何でも研究部』よ!」
「な、何でも…研究部?」
「そ、何でも研究するから『何でも研究部』」
「そんな安易な……いや、わかり易い名前だね」
「えへへ、わかり易い方が部員が集まるかな〜って思ったの」
わかり易すぎて逆に誰も入部しない気はするが、それは気のせいという事にし、カールは明
日からのサラとの素晴らしい日々を想像して幸せに浸った。
サラと二人で研究……、サラと二人で実験……
あぁ、何て素敵な光景なのだ……!
新たな部を作るには部員が最低十二人必要だと先程自分が言ったばかりなのに、残りの十
人の存在は完全に忘れ去られている様だ。
そうしてカールが自分の世界に入っていると、サラはどこからかペンとノートを取り出し、いそ
いそと何やら書き始めた。
ノートの表紙には『何でも研究部部員ファイル』と書かれている。
中身が気になったカールは、こっそりと中を盗み見た。
今サラが書いているのは目次の部分、六番目の所にカールの名前を書いている最中だ。
(一番目はサラ、二番目はミシェール・スー。……ミシェール? ミシェールってまさか…)
カールの知り合いに全く同じ名前の人がいる。
カールの永遠の好敵手と豪語ごうごする同級生、ハーマンの幼なじみがミシェールだ。
カールはまさかと思いつつ、三番目に目をやった。
…予想にたがわず、三番目にはロブ・ハーマンの名前が書かれてあった。
ハーマンが自分より先にサラと知り合いになっていたとわかった瞬間、カールの心では嫉妬
の炎が燃え上がった。
やはり好敵手、他の男ならこんな風にはならないが、相手がハーマンであれば話が違う。
何より、ハーマンにはミシェールがいるではないか…!
他の女性に手を出そうなどとは言語道断。
しかし『何事も冷静に』をモットーとしているカールは、念の為ハーマンの事をサラに聞いてみ
る事にした。
「…ハーマンと知り合いなのかい?」
「……え? ハーマンを知ってるの?」
「ああ、一応知り合いだ」
「そうなんだ、すごい偶然ね。でも私はまだ完全な知り合いじゃないの。ミシェールとは昔から
のお友達なんだけど、掛け持ちでいいから入部してほしいって頼んだら、何故か彼も入るって
言い出したらしくて…。まぁ、私としては部員が増える事は大歓迎だから、入部してもらう事に
したんだよ」
「へぇ、そんな経緯いきさつで入部したのか。ハーマンらしいようならしくないような……とにかく良かっ
た…」
「……? 良かったって何が?」
「え、あ、いや、部員が集まりそうだから良かったなって思ってね」
「う〜ん、そう楽観視は出来ないわ。明日から張り切って根回ししなくちゃ」
「俺に出来る事があれば、何でも手伝うよ」
「うん、ありがとう。いざという時はお願いするね」
サラはカールが思わず見とれてしまう程の満面の笑みを浮かべると、ハッと思い出した様に
立ち上がり、ダンボールの中から時計を取り出した。
カールもその時計を一緒に見、今現在の時間を知ってサラと顔を見合わせた。
「ごめんなさい、長居させちゃって…」
「いや。おいしい紅茶とクッキーをご馳走になったし、すごく楽しかったから気にしなくていい
よ」
「ふふふ、あなたって本当に優しいのね」
サラは照れ臭そうに微笑みながらドアを開いて廊下に出たが、カールは何故か部屋から出よ
うとせず、困った様な顔をして立ち止まった。
「どうしたの…?」
「…サラ、実は女子寮って男子禁制なんだ。だから皆に見つからないように帰らなくてはなら
ないんだ。悪いが先導してもらえないだろうか?」
「え、だ、男子禁制だったの!? 全然知らなかった…。ごめんなさい、もちろん先導するわ」
サラは小走りで廊下の突き当たりまで行くと、キョロキョロと周囲を見回し、誰もいないのを確
認してカールに合図を送った。
カールは急いでサラの後を追い、そんな事を何度も繰り返して女子寮の入口を目指した。



「わっ、ストップ!」
入口まで後僅あとわずかという所でサラは慌ててカールを止め、近くの物陰に身を潜ませた。
すぐ傍から聞こえる女生徒達の声にドキドキしつつ、カールは腕の中にいるサラにもドキドキし
ていた。
どういう訳か、隠れた時の体勢が抱き合う形であった為、このままでは自分の激しすぎる鼓
動がサラに聞こえてしまうかもしれない。
しかしそんな心配をしながらも、カールは無意識にサラの腰に手を回し、しっかりと抱き寄せて
いた。
しばらくして女生徒達の声が遠離とおざかっていくと、サラはほっと胸を撫で下ろし、今頃ある重要な
事に気付いて苦笑した。
自分は隠れる必要など無かったのだ。
「あはは、私まで隠れなくても良かったわね。慌ててたから、つい一緒に隠れちゃった」
サラは恥ずかしさを誤魔化そうとわざと明るい口調で言い、急いでカールから離れた。
…つもりだったが、何故か離れる事が出来ず、再びカールの胸に顔が埋まってしまった。
カールが力強く抱きしめているのだから無理もない。
「………カール……?」
「……………………」
「カール…? 大丈夫?」
「……………………え、あ、ご、ごめん!」
サラの呼び掛けでカールはようやく我に帰り、慌てて彼女の腰から手を離した。
どう考えても変に思われただろうなと思ったカールは、恐る恐る目の前の大きな瞳を見つめた
が、サラは妙に心配した様子で彼のひたいに手を伸ばした。
「熱は無いみたいね。けど、立ちくらみを起こすなんて疲労が溜まっている証拠だよ。毎日ちゃ
んと睡眠時間取ってる?」
「まぁ、程々に…」
「程々じゃダメだよ、今日は早めに休んでたっぷり睡眠を取った方がいいわ」
「う、うん、そうだね……」
先程の自分の行動から、何故熱や立ち眩みといった発想が出来たのか謎だったが、変に勘
繰られても答えにきゅうするだけなので、カールは敢えて深く追求しないでおく事にした。
そうして誰もいない女子寮の入口に辿り着くと、カールはこれまでの失態を全て振り払うかの
様に爽やかな笑みを浮かべ、サラの方に振り返った。
「じゃ、また明日」
「うん、おやすみなさい」
「お、おやすみ…」
これはまるで恋人同士ではないか…?
笑顔で手を振るサラに見送られつつ、男子寮に向けて歩き出したカールは、にやけてしまう口
元を気にして中庭へ向かうと、芝生の上に勢い良く寝転がった。
今日一日だけでサラの様々な表情を見る事が出来た。
目を閉じるとどの表情もハッキリと思い出され、カールは心から幸せに浸りきっていた。
想いを伝えるよりもまずは友達として仲良くなり、自分の人となりを知ってもらう方が先決。
そう考えると、初日からなかなかの滑り出しであった。
この調子で突き進めば、想いを伝える事も容易になる、かもしれない。
そんな僅かな期待を胸にいだきながら、何とか心を落ち着かせたカールは軽い足取りで自室に
戻ると、サラに言われた通り早めに休んだのだった…





●あとがき●
カールの性格がじわじわと怪しい方向に…
狙っていた訳ではないのですが、長編よりも過剰に妄想モードに入りやすくなっています。
年頃の青年の心は女の私にはわからないので、想像であんな性格になりました(笑)
純情街道まっしぐらのカールですから、しばらくは妄想ばかりになると思います。
そしてサラは少々天然要素が増えてイヤな女の子になりそうな予感が…
天然キャラはどうしても好きになれないので、これからは余り天然な所が目立たない様に気を
付けていくつもりです。
それにしても、カールはいつになったら告白出来るのでしょうか…?
…って、それは私が考えるんだった(笑)
今のカールだと相当時間が掛かりそうです。
『何でも研究部』に入部する事によって少しでもチャンスが増えればいいな、とカール共々願っ
ています。
前途多難なのは間違いありませんが(笑)